2006年04月15日

マクロビと牛乳

牛乳の旗色が悪いらしいですね。
こちらの記事によると、最近のダイエットブームで、牛乳が槍玉に挙げられ、消費が落ち込んでいるというんです。以前より当ブログでも主張していたことですが、乳製品が骨成長や骨折予防に役立たず、または有害であることは、何年も前から知る人ぞ知っている事実です。高齢者を見ると乳製品を勧めたがるお医者さんも、実はこれを立証するデータを目にしたことはあるはずです。‘97年にメディカルトリビューンおよび日本医事新報という、権威ある医師向けの二大専門誌に掲載されたからです。しかしこれだけ重大なニュースが大新聞で報道されたことはありません。まあ、いろいろ事情があるでしょうから…

そんな話が今になって若い女性を中心に注目されてきたのはどういうことでしょう。ニュースでは“マクロビ”正しくはマクロビオティックの影響だといいます。

マクロビオティックというのは、戦前から戦後にかけて活躍した、桜沢如一という食養家が提唱していた方法です。中国の古代思想である陰陽論を思い切り簡単に、いうなれば俗っぽくわかりやすくした理論を軸に、玄米と菜食による生活を謳っています。私が今の仕事を志した頃(20年前)であれば、知っている人は“ちょっと変わった人”でしかありませんでした。資料が欲しいときは、古本屋へ行ったくらいです。もっとも日本CI協会という組織が存続しており、そこへ頼めば手に入ったでしょうが。

そんないわば“古くさい健康法”が思いもかけぬところから有名になってきたようです。

世界のサカモト、坂本龍一が実践していると言ったのが、数年前。この前後に、おしゃれな装丁の料理本なんかが何冊も出版されました。私が鍼灸学校の図書館や古本屋で読んだ桜沢さんの著書が持っていたイメージを、一新させようとしている努力が見られました。“スローライフ運動”なんかと上手く並行して、乗り上げたこともあるでしょう。

しかし、皆さん、どうですか?知ってました?マクロビオティックのこと。少なくとも私の周辺ではそれほど有名ではありません。ですから牛乳の消費が減ったことと「マクロビ」を関連付けられても、ピンとはこないのですね。

マスコミが持ち上げているだけの流行というのはよくあります。マクロビがそうなのかどうかはわかりません。「浅薄」という熟語がこれ以上ないくらいにぴったりな“癒し”や“健康法”ブームの、枝の一つではないかという指摘も記事にはあります。実践している人の中には、実際それで終わっている人もいるでしょうが、そうでない人も少なからずいるだろうという気はします。

流行で終わっている人と、そうで無い人の何が違うかというのは、単に「長続きしている」とかいうことではありません。ましてや「これで○○が治りました」という経験でもありません。では何なのか?答は次回に持ち越したいと思います。




posted by 院主です at 12:52| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | ニュースを読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

高校生意識調査

公私ともにいろいろあって、随分長く放置したままになっていました。久しぶりの更新です。

おそらく教育関係または教育の関心のある人のあいだでは、今日はもう偽メールより金メダルより、この日米中韓高校生意識調査に関しての話題が多くなっていることでしょう。といっても、新聞の記事の内容は「またか」というか、聞き飽きたというか、とにかく読まなくてもわかるような話ばかりです。日本の若者が無気力なんてことは今に始まったことではありません。私が子供の頃は五無主義なんぞと揶揄されてましたな。五無とは、無関心、無気力、無責任、無感動、無作法のことでした。これの何年か前は最初の三つで三無主義と言われたらしい。だから今の子供が昨今の「ゆとり教育」や不況のために将来の夢を失っているなどというのは、ちょっと違います。

今の高校生の親というのは、私より少しだけ上の世代が多いですから、三無主義とバカにされた人たちです。(怒らないで下さい。こっちは二つ多いのです。)

そういう親がどうやって子供に夢を与える教育をするのでしょうか。想像するに三無主義者を育てた昭和一桁世代の人たちは、物心ついてから戦中戦後の混乱期を乗り越えておられるわけで、夢や希望や努力ということを、芯から知っているはずなのに、それでも子供たちになると無気力だ、無関心だといわれたのです。

私はもちろん今の子供の生活や意識のありかたには問題があると思っています。社会に対する感心の低さなどは、国民全体で考えるべき問題でしょう。しかしそれ以外で、今回のアンケートの数字そのものには、大して悲観をしていません。例えば「リーダーシップの強い生徒になりたい」が15,7パーセントとかいうのは、意外に多かったと感じているくらいです。他の国と比べれば確かに少ない。しかし考えてみてください。アメリカや中韓の高校生は、二人に一人以上が「自分はリーダーになりたい」と考えているのです。日本人から見れば「オレが」「オレが」の、我の強い奴の集まりです。しかしその大半の人間が夢破れて「普通の人々」になるのです。普通になれたらいいけど、普通にもなれずに落ちていったらどうなりますか。

夢や希望だとかも、日本人は元からこんなもんだったのではないかと思います。大体つましい民族なんですから。「バカになった」と嘆く数学の先生を私はきらいではありませんが、この先生が言う「過去の美しかった日本人」にも、アンケートをとったら同じような結果だったのではないかと考えます。正義感はもうちょっと昔の方が強かったかもしれませんが。

話は怪しいほうへ飛びますが、日本がずっと外交に弱いことも、この意識調査結果が現代独特のもので無いことを教えています。米中韓の三国には、リーダーの素質もなければ、それほど勉強もできるとは限らないのに「勉強が出来るようになりたい」「リーダーになりたい」と考えている人間がうじゃうじゃいるわけです。そんな中に挟まれて外交をするのだから日本は大変です。25,7パーセントというやはり最低だった正義感が、役立つのかどうか、そこだけはちょっと気になるところです。
posted by 院主です at 22:34| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

先に手を出さないで 2

スポーツに限らず、仕事や楽器の演奏などでも、身体を使うことでは、「体で覚えろ」という言葉が良く使われます。営業など対人関係を重視する仕事でも言われることで、もしかしたらそちらの方が実際に身体の技術を用いる現場より、声に出されているかもしれません。しかし今回はそちらの方は置いておき、身体動作に関してのみ、この言葉について考えてみたいと思います。

「体で覚える」というのは、既に「体で覚えた」ことのある人間にとってはよく実感できる状態です。最初は傷だらけになって覚えた自転車やローラースケートを転がしながら、他の考え事に夢中になっている人は、もはや自分の足がペダルやローラーの上にあることを意識していません。それは「体で覚えている」からだと思いたくなります。

そういう経験者にとって「体で覚えろ」は便利な言葉です。「体で覚えている」自分がやって見せたことを、生徒は目で見てマネをして体で再現すれば良いわけです。

しかしこれが成功するのは、ほんの一握りの人たちです。
マネをするというのはとても大変な作業だからです。

まず人が「見た」と思っている目の前の像が、本当に「見えている」かどうか、これが問題です。「目に映った」のと「見た」は違います。「目に映った」映像は視神経を介して、脳の視覚野で認識されます。ここで人は「見た」と感じるわけですが、このプロセスが結構クセモノなのだそうです。たとえば視力が左右で微妙に違っていると、距離感などを正確に把握できなくなります。視力が左右同じでも、神経を通って脳に届くスピードが違っていたりすることもあるといいます。(このケースが多いらしい)

正しく見ることができない。これ一つ目の関門です。

もう一つは「自分の動作が見えない」ことです。鏡を見る方法はありますが、前に置かなければならず、全体をチェックすることはできません。ビデオに撮って見るというのは、なかなか良い方法ですが、これだけをしてもなかなか動作を変えることは難しいものです。ビデオで見ると、お手本の動きと自分の動きが明らかに違うことがわかります。ではどこを変えればいいのか?これが、わからないことが多いのです。「わかった!」と思って改良してみるけど、やっぱり違う、何か違う、そんなこともあります。

たとえば子供が大人のボール投げや太鼓の演奏を見たとき、腕に注意が集まります。サッカーのシュートを見れば、ボールを蹴る瞬間の足先に心を奪われるものです。
何度も見ているうちに「ああ自分は手をもっと高く上げて投げないといけないな。」「太鼓を打つときは肘が曲がっているのか」などと、子供なりに自分の欠点を直そうとするでしょう。また実際に大人が指導する場合も、その傾向があります。私がハンドボールを習ったとき最初に聞いた投法の原則は「上腕と体の間の角度を90度以上にする」というものでしたし、前回の「肘から出せ」という和太鼓の指導の決まり文句も同じです。間違ったことは決していっていませんが、十分でないことが多いのです。

「下手なとき」というのは、体全体の向きや重心の置き方が、間違っているものです。体全部がつながっているのですから、肘の位置を変えれば、他の部分も動きます。そのまま肘の場所だけを変えても、他のところが正しい方向へ行かなければ、やはりしっくりいきません。

「肘から出せ」でうまくいく場合もあります。それは肘や手など末端の位置を変えたら、体全体の運動の様子を変えないとやりにくくてしょうがなくなり、強制的に良い形に変わってしまうこともあるからです。「一言で上手くいく場合」というのはそんな時です。

ホントのことを言うと和太鼓での「肘から出せ」は、その意味でかなり有効ではあります。これは「ラジオ体操化石化プロジェクト」であげた「体を横に曲げる」ことにつながってくるからです。右の肘を90度に曲げたまま体の正面にずいずいと持っていくと、上体が強制的に右へ傾けられることがわかります。ただしこれとて下半身が棒立ちのままでは、いい形にはなりません。下半身の柔らかさが保てる人には「肘から出せ」は有効ですが、そうでない人には難しい注文になります。

手にしても足にしてもこれは文字通り「枝葉末節」の問題です。根元である「腰」が「体の要」です。打つも、投げるも、蹴るも、歩くも、腰からどう動くかがいつも一番大きな問題です。それなのに腰の動きを言葉で表すことが一番難しいのです。だから「体で覚えろ」「見て覚えろ」になってしまいがちなのです。
posted by 院主です at 19:47| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月07日

先に手を出さないで!

和太鼓を初心者に教える時に、よく言われる言葉で「肘から出せ」というのがあります。特に、まん前に縦置きした太鼓へ上からバチを振り下ろす時よりも、斜め台などに置いて半身の態勢で打つときなどによく言われます。上からであれば両手とも太鼓との距離は同じですが、半身で横に置いていると、当たり前ですが必ずどちらかの手は遠くから打ち下ろすことになります。たいていの曲では自分の左側に太鼓を置きますので、右手が遠くなります。するとドンドンドンドンのような単調なリズムでも、左手に遅れないようにと右手が焦った動きになります。腕が棒のようになったまま、バチを持った手先だけが飛んでくるのです。体が後からそれについてくる形になるので、ドンとはね返ったときに態勢をくずしてしまうこともあります。

これとよく似た動きでよく見られるのが、子供の球技です。ドッジボールなどで、飛んできたボールを取ろうして目測をするのですが、体を止めたまま手だけを伸ばすために落としてしまう子が結構います。通常、低学年に多く高学年になるにつれ減っていくものです。いわゆる「運動のできる子」というのは、このあたりを教えなくてもクリアしており、体ごと移動してボールに向かうことができます。この「できる」「できない」の差は、小学校へ入る前でもはっきり見て取れるように、生まれつき違いがあるとしか思えません。たびたび書いたように私は運動オンチの方に属するのに対し、兄はとても運動がよくできて、頭抜けて得意というものは無くとも、何をやってもそれなりに様になっていました。同じ両親の子でも、かなりの差がありました。

「できない」を「できる」ようにするために先生がいます。ドッジボールでは実際に「体で捕りにいきましょう」と先生に言われている子がいるでしょう。その一言で上手く捕球ができれば万々歳です。しかし、それでもダメな場合はあります。体をボールに近づけたはいいが、今度は手を下から持ってくるのが間に合わず、胸で跳ね返して泣いたりします。

「体をボールに近づきながら、手をそこへ合わせなさい」と先に言っておけば、そういうことにならないかというと、これはまったくダメでしょうね。二つの要求を同時に与えてすぐにできるくらいなら、最初から苦労は無いんです。同じ失敗でも次につながりやすいものと、つながりにくいものがあるところに注目すべきでしょう。体より先に手を伸ばしてしまう失敗は、言われない限り何度でも繰り返すことが多いですが、体が先に出て手が間に合わないのは、自分で努力して克服しやすいところです。

以前も書いた「中心から始まって末端へ続く動き」が、準備体操、お遊戯、お手伝いのようなものの中で、子供が自然に身につけることができないものかと、私はよく考えます。未だ「これだ!」というような方法は作れておりませんが、体系的に組み立てることは将来可能であろうと思います。
posted by 院主です at 00:28| 大阪 ☁| Comment(12) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月04日

謹賀新年

本ブログの今年の目標です。

1.ラジオ体操化石化プロジェクトの推進
ラジオ体操に代表される従来の体育教育、体育観の問題点を取り上げ、解決と進化のための代案を提示する。

2.体の動きを言葉であらわす方法と意義について模索する。

3.中国、日本の伝統医学と身体運動の関連を考える。

4.感覚から運動をつなぐものとして「思考」を置く見方から、「算数」とか「国語」とかについても、ちょっとだけ考えてみる。(ただし本質を曲げてまで、見方や立場に絶対にこだわることはいたしません。)

5.できそうならば以上のことを小学5年生にもわかる言葉で記す。そんでもう一つ、できそうなら、外来語や漢語にたよらず「やまとことば」であらわす。(できそうならです)

どれも、皆様のご意見、ご批判とともに良いものとなれば一層有難く思います。ついでにアクセス数があればいうことはありません。

本年もよろしくお願い申し上げます。
posted by 院主です at 23:21| 大阪 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月31日

もうすぐ来年

タイトルのような言い方が、日本語として正しいのかどうかよくわかりませんが、もうあと6時間あまりで年を越します。今年一年、私の拙い文章にお付き合いいただきました皆様に感謝の意を申し上げます。またコメントやTRを通じて、様々なご意見を下さりました方々には、重ねてお礼を申し上げる次第です。

来年の方針としましては、今年の後半の主な課題であった「体育」「教育」に関して、もっと突っ込んだ形で理解と探求を深めることで、生業の伝承医学と絡めた話ができるところまでいけば良いな、と考えております。

来年もよろしくお願いいたします。
posted by 院主です at 17:47| 大阪 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月28日

新ゲーム?

算数の話の続きもラジオ体操も更新したいのですが、今日は子供の頭の体操のために、新しく開発した(?)ゲームを紹介。5本の棒とカードを使うゲーム「Dijit」を参考に考えましたが、もしかしたら似たようなゲームは巷でよくやっているかもしれません。(もしあればご一報くださいませ。)


ルールは以下の通り

〜1対1でおこなう場合〜
両者ともマッチ棒を14本ずつ用意。それを7本2セットに分ける。
まず最初に自分の「はじめの形」を7本で作る。ただし以下の条件を守る。

1.7本全部を使う
2.宙ぶらりんに離れている棒があってはならない。
3.棒と棒がくっつく場所は棒の端の部分のみ。
4.くっつく角度は90度もしくは180度のみに限る。

互いに相手の「はじめの形」を見て、相手が使う「おわりの形」を先の4条件で作る。
先攻後攻を決めて、選手は交互に自分の「はじめの形」の中の一本を動かす。置き場所はやはり先の4条件に従う。

目的は自分の「はじめの形」を、相手が作った「おわりの形」に一致させること。より早く完成した方が勝ち。

最初に相手の作った形を見て、できるだけ遠い図形を作ればいいのだけど、7本でも結構難しい。本数を増やしたり、色々バリエーションは広げられると思うので、一度試されてはいかが?

posted by 院主です at 00:50| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月22日

ミカン3個とリンゴ2個

算数教育に関する本を図書館であたっていたら、面白い言葉に出会った。
「どこがわからないの?なんていう問いかけを、低学年の子供にしてはいけません」
確かにそうだ。これは落し物を探すのに、「どこで落とした?」と尋ねるのに似ている。子供は何がわからないのか、自分でわかっていないから苦しんでいるわけだが、親はつい訊いてしまうのだな。

むかし病院で勤めたころの同僚で、将棋が強く理数系の問題にも得意な男がいた。彼は小学校に入ったばかりのとき、算数の問題でどうしても答えられないものがあったと言う。
「ミカン3個とリンゴ2個あわせていくつになりますか?とかいうやつや。ミカン3個はあくまでミカンが3個であり、2個のリンゴと一緒なっても、それは“ミカン3個とリンゴ2個”以外の何物でもないはずや。おかしいと思わんか」

この主張は私も正しいと思う。今ではこの手の無神経な設問が使われることは無いだろう。ただし「くだものはぜんぶでいくつですか」という問い方をしているものは、あるかもしれない。いや、もしかしたら彼が正しく覚えていないだけで、その当時に出された問題にも、実はそういう訊き方がなされていた可能性もある。どちらにせよ、6歳の子供にとって引っかかるときはひっかかる。この場合は「分類」という方法までもってこなければいけなくなるからだ。

ここまで考えてまた思う。もしかしたらたとえミカン3個とミカン2個であっても、これを式にして解けと言われた途端にフリーズしてしまう子供はいるのではないか。かすかな記憶をたどるに、私はその傾向があったような気がするのだ。

先生が実際にミカンを持ってきて目の前で足し算をしてみる。この時に私は何を考えていただろう。
「うん、いまお皿にはミカンが3個あるな。で、先生が大きな声を出しながらまた2個置いたぞ。どれだけありますか?って訊いてる。え〜と数えてみよう。1、2、3、4、5、先生!5つです!」

と、まあこんな感じで結構脳は働いてるわけだけど、次の先生の言葉がぐにょ〜ぅと頭の上を素通りしていく。
「では今やったことを式になおして書いてみましょう」

子供であった私が見たのは「2」ではない。「3」でもない。ましてや「+」などどこにもない。あったのはミカンとお皿である。
「これをどうやってあんなものになおせるというのだろう?」
と、悩みはじめる。

「2」も「3」も習ってはいる。「いち、に、さん」と言いながら、紙に正しく文字を書くことはできる。しかし数字は123ときれいに並んでいるものであって、2があって3があって5があるというのは許せなかったりするのだ。

なんせ昔のことで記憶にあいまいな部分があり、ホントにこういう悩み方をしていたか確かな自信はないのだが、実際今でもこれに近い「引っかかり方」をしている子供はいるんではないだろうか。

最初にあげた本では「数学の世界は数学語が共通語になった世界といえる」と書かれていた。
つまり「みんなが決めた記号のルール」に従わなければ、仲間入りが出来ない世界なのだ。何度か紹介したどんぐり倶楽部考える学習をすすめる会は、いきなりルールを覚えるのではなく、「絵で書く」という方法を先にとることで、力をつけながら世界に入るようすすめている。

ふつう人間が生活する中で、もっとも頼っている感覚が視覚であることからしても、「絵で考える」方法が優れていることは確かだが、事実を「記号」に表すことを教える方法は、他にもたくさんあると思う。現況の子供の学力問題は、このもろもろの記号が事実から分離したまま憶えさせられていることが多い点にある。これは国語の教育にも関連することになりそうだ。
posted by 院主です at 01:06| 大阪 ☔| Comment(6) | TrackBack(1) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月16日

ラジオ体操化石化プロジェクト10

〜体をねじる体操〜
この体操ね。

ねじれていないのだ、これがまた。

ねじれているようで、ねじれていない。「体を横に曲げる体操」と同じく、動いているのは股関節であって、胴体はほとんどそのまま。よく注意してやってみるとわかる。

「まあ、それでも股関節が動かせているなら、やらないよりいいじゃん」という意見もあるかと思う。

確かにそれはそうだ。しないよりマシという点では前回の体を前に曲げる体操より実害は少ない。ただこの運動で「体をねじりました」と認識してしまうことが問題なのだ。本当に「体をねじる」のはどんな感じか、これは簡単に体験していただける方法がある。なので

〜実技をやりましょう!〜

みなさん、足を腰の幅に開いて、「前へ習え!」ように手を前に出してみてください。ただし、手の向きが違います。普通は手のひらを向かい合うように出しますが、ぐりっ一度手のひらを下に向け、そのまま外側まで回してください。手の甲が向かい合う形になりますね。これ第1のポイントです。

じゃあ、次はいよいよ体をねじるわけですが、ここで注意していただきたいことがあります。今、みなさんの顔が前を向いています。ラジオ体操でねじる時は後ろに向きますね。この「ホントにねじる体操」では、顔をずっと、そのまま前を向いたままでやります。これが第2のポイントです。

まず右にねじって(時計回り)みましょう。ゆっくりでいいです。右手は斜め上40度くらいにあげてください。左手はこれに自然についていく感じです。どうしても顔がついていく人は、首ごと回しても結構です。ただし、ねじった後に首を正面に戻してください。左足のかかとは地面から離して行なう方が、スポーツや日常動作に近い現実的な動きとなります。左足がつま先を軸に時計回りに回る格好です。それならば、左の肩が顔の下にくるまで、ねじったまま静止できると思います。

みんな出来たみたいですね。背中の骨や筋肉が動いたのがよくわかったでしょう。これが「からだをねじる、ひねる」ことなんですよ。反対側も同じ要領でして見て下さい。

えっ、なんの役に立つかって?
いろいろありますよ。野球のバッティングやテニス、バトミントンなんかの、スイング系のワザはこれが出来なければなりません。和太鼓でも太鼓を斜め台において正面から打つ時には、この感覚でやるといいんです。見た目が大きく格好よく、速い動きも遅い動きも自在で、音がぐっとさえてきます。
タグ:ラジオ体操
posted by 院主です at 23:52| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月15日

ラジオ体操化石化プロジェクト9

〜腰に悪い運動〜

以前うさぶさんがコメントでご指摘下さったように、腰に悪い動き方がラジオ体操にある。「体を前後に曲げる体操」である。後に反る運動は、腰椎、椎間関節に問題のある人でなければ少しくらいやってもいいが、前に曲げる方は健康な人も少し気をつけてもらいたい。謳い文句にあるように、腰痛予防になるどころか、ヘルニアの原因作りになる動きだからだ。

もし立ったまま体を前に曲げたいならば、お尻を後へ突き出すようにして、腰椎はまっすぐにしたまま行なう。胸を張り気味に、顔は前を見たまま、膝はまっすぐにする必要は無い。曲がっていても太腿の後が引っ張られる感覚をおぼえるはずだ。面白いことに先のラジオ体操の写真で言えば、「悪い例」のほうがこれに近い。腰を伸ばすのではなく股関節の体操としてするのが安全である。

腰椎を伸ばしたいなら、仰向けでやるべきだ。最初は片足ずつ、後は両足一緒に、膝の後を抱えて腰を伸ばす。ゆるゆると気持ちのいい角度で無理せずにやればいい。またしゃがんで膝を抱え込むだけでも腰の筋肉はそれなりに伸びてくれる。ただし椎間の障害や、筋肉や筋膜に痛みや炎症などの強い症状がある場合はこれもしてはいけない。(ていうか痛くて出来ないわな)
タグ:ラジオ体操
posted by 院主です at 23:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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