2007年02月21日

ニンニクはすりつぶすのがいいらしい…

納豆の実験結果捏造発覚に始まって、安直な健康情報の垂れ流し実態が相次いで発表されていますね。今日の朝刊でも山田花子さんを使って笑えない実験をしていた番組があげられていました。

フードファディイズムという言葉でこれらの現象がしばしば説明されているのを見ましたが、こういう馬鹿馬鹿しい傾向は健康やダイエット情報に限らず、いろいろな場面で見受けられます。

「7週間で頭がよくなるための7習慣」
とか
「東大生はリビングで勉強をしている」
とか
「朝の3分のこれだけでビジネスマンが出世する」
とか
「ぼけないために声に出して読む名作」
とか

最後のは上の3つに比べると少しマシなほうかもしれませんが、版権の切れた名作の一部分だけを取り出して並べただけの本で金儲けをしようとしているところが浅ましい。

とにかくこういうものがコンビニの雑誌コーナーなんかで、デカデカと表紙を見せ合っているのを見ると、一応作者の名前をチェックして「こいつの言説には警戒しておこう」と心に決めてしまいます。(実際ろくなことを書いているように思えません)

評論家の宮崎哲哉氏はある番組で「どんなにお金に困っても絶対したくない仕事は何ですか?」の質問に
「“これで頭がよくなる”などといった安直なHow to本」
と答えていました。流石であるなと感じましたな。

で、タイトルの話ですが、ニンニクには血栓を予防する物質が含まれているものの、加熱調理によって効果が失われることが知られていました。

今回アルゼンチンのGalmarini博士が実験をしてみたところ、ニンニクを潰さずに6分間調理した場合、同物質の抗血栓作用が「完全に抑制された」といいます。そこでガーリックプレスで潰してから調理してみると、抗血栓性物質の損失をある程度防ぐことができたそうです。(しかし10分以上の調理で、やはり抗血栓作用の大半が失われてしまったそうな)

すり潰すことで得られる変化の詳しい理由や、切った場合との違いなどは記事では不明です。

ともあれニンニクだけで血栓予防が出来るわけではありませんので、念のために…


posted by 徒手空腹 at 23:30| 大阪 | Comment(3) | TrackBack(0) | ニュースを読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

名前変えました

大した理由はありませんが、タイトルとデザインを改めました。

ごちゃごちゃと操作をしているうちに、タイトルがヘッダーと別に記事のすぐ上にも来てしまいました。削除の仕方がわかりませ〜ん。
posted by 徒手空腹 at 21:42| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月30日

豚足の調理法

こちらに冬の食養生として豚足が紹介されていましたので、私がたまに行う調理法を披露することにしましょう。

材料はスーパーでよく売っているボイル済みの豚足に加えて、冬なら蕪、夏なら冬瓜などを使います。今の季節なら蕪のほかは、下茹で済みの大根などでもいいでしょう。豚足を丸ままと一口大に切った野菜を鉢や深めの皿などに一緒に入れて、中火で蒸します。豚足と野菜が柔らかくなってきたら火を止めて下さい。皿の底にはとても美味しそうなスープがたまっています。取り出した豚足の身は簡単にほぐれて包丁も入りやすくっているので、食べやすい大きさに切り分けてください。

蒸した具が熱い間に中華鍋を熱して、油を引き、生姜をつぶしたのを投げ入れて香りをつけます。みじん切りの白ネギをサッと火にかけ、すぐに蒸した豚足と野菜を投入し軽く炒め、塩コショウで調味し、先のスープを絡ませます。好みによっては辛子を少し足してもいいでしょう。水溶き片栗粉でとろみをつけて出来上がりです。

何となく思いつきで考案した料理でしたが、自分の中では良く出来た方かなと自画自賛の品です。辛子を足せば、豚足独特のクセが苦手の方でも大丈夫でしょう。


posted by 徒手空腹 at 22:34| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | 物を食べる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月27日

ラジオ体操化石化プロジェクト11

昨日は書きかけの記事を間違って保存してしまい、削除したところがなぜか不完全になっていました。せっかく来て頂いたのにあれっと思われた方、すみませんでした。

久しぶりのラジオ体操、今回はこれです。

腕を上下に伸ばす体操

目的は「腕を上下に曲げ伸ばすことで、全身を緊張させ、素早さと力強さを身につける。」ということですが、“全身”を緊張させることと、素早く力強く動くことは矛盾するものです。例えばボールを投げるときに、腕を曲げる筋肉に力が入っていたら、ボールを飛ばすことは出来ません。といっても腕を伸ばす筋肉にも力は要らないのですが、ともあれ瞬間的な筋肉の収縮が起きるとき、裏側にある筋肉(拮抗筋)は力が抜けていることが重要です。だから「全身を緊張」させるのではなく「一部を緊張」させるなら、まだわかります。

人の筋肉は縮む前に引き伸ばされることで、引っ張られたゴムのように「ため」が生まれます。動作の主役になる筋肉は、最初は縮めという信号はもらわないようにして、緩んだ状態であることが肝要です。裏側が縮むことで、主役の筋肉は引っ張られ、中央の太い部分に伸展力が及ぶと、その筋の中の受容体が感知し、反射によって強い収縮力が生まれます。

逆に裏側の拮抗筋では、最初に思い切り縮むことで、主役の筋肉を引っ張ってやります。そして最後まで縮みきることで瞬間的に脱力することが可能になります。

筋肉とは言わば押しバネと引きバネの特徴を兼ね備え、自由に使い分けることが出来る実に素晴らしい器械です。

この体操では例によって左右対称の動きが使われています。左右対称の動きは実は難しい。何が難しいかというと、拮抗筋の弛緩(ゆるみ)を感じることがです。どうしてもお題目通り全身に力が入ります。裏も表もいつも入れっぱなしでカクカクと動かなければいけなくなるんですね。

「腕を上下に伸ばす」といって肩の関節を派手に動かしているように見えますが、回旋に使う筋肉はほとんど使われていません。これに限らずラジオ体操は第1、第2を合わせても回旋筋群の存在は無視されています。この回旋筋こそ、先の述べた押しバネと引きバネの特徴をフルに活かせる場所なのですが、それが使われていないところが問題なのです。

ラベル:ラジオ体操
posted by 徒手空腹 at 23:42| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月24日

変形将棋

4年生の長男が学校のクラブ活動に将棋を選んだのがきっかけで、ネットを使って将棋のページを調べたことがあります。とりあえずウィキペディアで検索してみたのですが、これが予想以上に面白く、次々と出てくる情報に時間のたつのを忘れました。

驚いたのは「トリビアの泉」でも紹介された、平安大将棋や大大将棋のような大型の古将棋の駒の詳細が、すべて克明に記されていることです。まあ、これは多分一生やりたいと思わないでしょうから、一度見て感心するだけのものですが、変形将棋の項には面白いものがたくさんあります。息子が気に入ったのは五五将棋。詰め将棋の練習にいいかもしれません。

とにかく情報量の多さはウィキペディアならではです。例えば変形将棋の中に四人将棋というのがあります。ここでは島根県平田市長が考案した実際の四人将棋以外にも、「こち亀」で漫画のストーリー中、おそらく一度だけだと思うのですが、良さん以下4人で将棋をしたときの駒の並べ方までが紹介されてあります。

子供の前でネットを使ってものを調べることに、私は抵抗があるのですが、カテゴリによっては大いに役立つことを認めざるをえませんでした。
posted by 徒手空腹 at 22:21| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月18日

しなる腕

ダンスやフィギヤスケートなどの選手の腕に注目していると、柳の枝やグラスファイバーのごとく弓なりにしなる様子に、見とれてしまうことがよくありませんか。人間の腕は肘の一箇所でしか曲がらないはずなのに、なぜああいう風に曲線に見えることがあるのか、訊かれたことがあります。

そんなときに「鉛筆の手品」を持って例にすると、たいがいわかってもらえます。誰もがやったことのある遊びです。鉛筆の端を親指と人差し指でつまみ、フラリフラリと上下に振るだけで、グニャっと曲がって見えるように見えるという、あれです。

プルプルではなくフラリフラリと振るのがコツです。速さの問題ではありません。プルプルだと鉛筆の残像が扇形に開くだけです。これは、つまんでいる所を空間の一箇所に止めたまま上下させているためで、最も長い距離を移動する先端の弧が大きく見えるようになっています。

フラリフラリはつまんでいる所を先に動かすところがコツです。つまんでいる指を少し上げた後に、遅れてついていくように先端が上がります。下へ落ちるのも同様で、指の後に先が落ちるようにします。そうすることで、鉛筆の両端ともが真ん中より速く上下運動をするようになり、結果弓なりに見えるようになります。

このことを最初の話に戻すと、腕を弓なりに見せて振るには手先より肩甲骨を先に動かす必要があることになります。もっと言えば肩甲骨より肋骨、いや背骨が一番先になると考えたほうがいいでしょう。腕がしなる動かし方は見かけが美しいだけでなく、合理性を伴っています。ダンスだけでなく、野球・ソフトボールの投球、和太鼓、などでもこの腕のしなりはよく見られます。体の中心から引き上げることで、手に持っているものを支点に近づけて、重いボールやバチを軽く上げられるようにしているのです。ラジオ体操の腕を振るポーズがみっともないのは、このことにまったく留意していないからです。こちらの手書きイラストに見られるような、駄々っ子の手の動きは、ラジオ体操と同じく、しなる腕とは正反対の幼稚な身体動作であることを意味していると考えていいでしょう。少なくとも昔は体育の先生より、漫画家のほうが人体構造の理解に秀でていたことがわかりますね。

やさしいダンスの物理学―ダンサーの動きは、なぜ美しいのか [単行本] / ケネス ローズ, マーサ スウォープ (著); Kenneth Laws, Martha Swope (原著); 蘆田 ひろみ, 小田 伸午, 佐野 奈緒子 (翻訳); 大修館書店 (刊)

バレエダンサーのからだとトラブル [単行本] / 蘆田 ひろみ (著); 音楽之友社 (刊)
posted by 徒手空腹 at 23:34| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月26日

ばちと刀 2

前回揚げた説明の中で親指をクイッと曲げてと書いてしまいました。親指を曲げるというと普通は先の関節を意味しますから、これはあまりいい表現ではありません。挟み込むとでも言うべきでした。

実際いつもやってみるように持ってみたら、親指自体は曲げないでむしろ反らせ気味にしていることに改めて気づきました。中手骨という指の下の骨を含む親指全体を、手のひらの真ん中に寄せて、そこにばちを挟んでいるような感じです。

そうやって腕を上に向かって伸ばしていくと、自然に腕全体が内旋(回内)されてきます。内旋または回内は聞き慣れない言葉かも知れません。「気をつけ」の姿勢で腿の横についている手のひらが、後に向くのが内旋(回内)です。(その反対はもちろん外旋、回外になります)

腕を内旋したまま上に挙げてみましょう。肘を伸ばしていると軽くロックされているような感覚がありませんか?また肘を曲げてみると、何となく日本的な「見得を切る」ような姿勢になることに気づかれると思います。

どちらにせよ、この状態から開放されるときに力は発揮されるわけです。上腕が回外しながら下へ落ちていく手先は美しい軌道を描いて目的の場所へ運ばれます。

武術や日本の伝統的な身体操作について書かれた本を見ると、よく「筋肉ではなく骨を動かせ」と書いてあります。大体はそういう場合、肋骨や上腕のことが多いようですが、末端においても当てはまる術理であることが感得できるでしょう。
posted by 徒手空腹 at 22:55| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 稽古をする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

ばちと刀

和太鼓を始めて間もないころ、先生や上手な人の打つ姿に憧れて真似をしようとした動作の一つに「指を伸ばしたままばちを握る」というのがありました。当たり前ですが、5本全部伸ばすわけではありません。また太鼓を打つ瞬間は、ばちが飛んでいかないようにしっかり握っています。構えた姿勢から面に当たる直前までの間、親指をクイッと曲げて他の4本はパーのままばちを手の中に固定するのです。

手を上げてパーでばちを持つには、ただ親指に力を入れるだけでは無理です。やったとしても、何かギクシャクした不自然な姿になります。上腕の骨頭を少し前に回すようにして肘を伸ばし、手首を少し反らせ気味にし、親指の付け根の骨を遠くへ突き出すような感覚でばちを持ちます。

これは要所要所ですると見た目が格好よくきまります。それだけでなく、打つときに余分な力が入らずに済むという良い点もあることが、できるようになって後からわかりました。

太鼓を打つときのフォームは、足、胴体、肩、肘、手、指にいたるまで、美しく見えたときが最も良い音が出る時だということを、いつも実感します。(とくにビデオで自分の不細工な姿を見た日には心の底から思います)

身体操作に関して検索していると、古流武術を修行されている一樂庵様が、親指の関節という興味深い記事を載せられており、今回のことに通ずるものを感じました。
posted by 徒手空腹 at 22:40| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 稽古をする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月22日

危ない体操

いろいろあって長らく休んでおりました。少し落ち着いたのと、どうしても挙げておきたい記事があり、またもどってまいりました。

ちょっと前に某テレビ番組で紹介された体操を真似て、すぐ腰痛になったという方が何人かいらっしゃいました。多分日本中で同じことが起きているんだろうなあと思います。(イナバウワーが流行ったときはウチには一人も来ませんでしたが…)

何でも「腸腰筋ダイエット」とかいう触れ込みで、太ももを高く振り上げるようなエクササイズを毎日30回だかするものだったそうです。私は見ていなかったので、その番組のウェブサイトを覗いてみたのですが、普通にやれば腰痛になる人が続出するのは間違いのない内容でした。よくこんな内容を恥ずかしげもなく無責任に垂れ流すものだと感心します。

私も患者さんには体の中心にある大事な筋肉として、腸腰筋(腸骨筋、大腰筋)を使うように多たびたびアドバイスをしています。その際は1種類か2種類の単純な体操を、原則的には必ずその場で見せて真似をしてもらい、フォームをチェックし、運動時の感覚を聞きながら行います。痛みが生じるようではもちろん意味がありませんし、太ももやお尻、腹部などに「重くてしんどい」という感覚も起きないように動かしてもらいます。そうすると「こんな楽なのでは運動にならないのでは?」と聞かれることがしばしばあります。運動なのだからつらいのが当たり前という感覚は、この国の民の真面目さをあらわすわかりやすい一例です。

実際は腸腰筋で太ももを挙げるとそれまでより足の重さが軽く感じるのです。

足を挙げるだけなら腸腰筋を使わなくても、太ももの前面にある筋肉で持ち上げることができます。その際に腹直筋というお腹の筋肉を縮ませて、骨盤を後ろに倒しつつ上のほうへ持ち上げるという、実にしんどい動作をしていることが多いものです。腰痛になる人は日ごろからそういう挙げ方をしています。腸腰筋は体の内部にあるため意識するのがかなり難しいところです。ふつう筋肉を意識するというのは、コリ、痛み、緊張感、痙攣のような異常時にもっともはっきりしますが、ストレッチのような伸展動作でも感じることができます。前屈をしたときに太ももの裏側に走るあのツッパリ感や痛みは、ハムストリング筋が浅い(皮膚に近い)層に走っていることと、角度を強めれば強めるほど限度を超えて伸ばされる力がかかるために、誰でもとてもわかりやすいものです。それに比べると、超腰筋は背骨の前側という“見えない“場所にあり、構造上単独で限度までの伸展をストレッチで感じることは難しくなっています。

腸腰筋を意識できる人は、前述のエクササイズでも問題はおきないでしょう。でも普通はいきなり意識するのは難しいものです。まず今まで力を入れていたところが脱力できるような体制を作ったやることが必要です。この力を抜くというのも、また難しいのは事実です。(私が一番苦手なことだったので、よくわかります)そういう意味では健康なときより「力を入れると痛みがでる」時のほうが、強制的にでも的確な運動を発見しやすいチャンスなのかもしれません。

昨日も「寿命遺伝子を伸ばす骨盤の体操」とか銘打って、尻歩きを勧めていました。土曜のオンエアは止めたほうがいいですね。翌日は休みの治療所が多いでしょうから。



posted by 徒手空腹 at 16:24| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

マクロビと牛乳 続き

前回の記事の翌日に電車に乗ると、マクロビオティックということばを二度見かけました。一つは雑誌の吊り広告、もう一つは某私鉄が発行しているフリーペーパーの特集記事でした。雑誌の方では「マクロビって何だ?」というような口調の見出しでした。

翌々日の月曜日には読売新聞の朝刊で、牛乳の売り上げ低下で、酪農農家が悲鳴を上げているという記事が取り上げられていました。やはり、というかもちろんというか、マクロビオティックなど出てきません。牛乳が売れないのは、少子化と飲料商品の多様化が大きな原因と、極めて真っ当な指摘がありました。酪農農家の方はホントに大変でしょうし、気の毒にも思いますが、だからと言って無理な普及を今さらしてもどうだかという気もします。日本の食料自給率から考えても、乳牛の餌に必要な牧草地などは、人間の食べられる農産物が取れるよう、国は補助してでも転換していった方が良いと私個人は思っています。しかし、酪農家にしても、ただ単に生活のためでなく、誇りや情熱を持って牛を育てている方々がたくさんいるわけですし、他にも現実にはいろいろな問題があるでしょうから、あまり無責任なことはいえません。

そこで前回、終わりのほうでちょこっと触れた話に戻ります。マクロビが「流行」に終わっている人と、そうでない人の違いに関してです。

最初にお断りしておきますが、私自身は菜食を貫いているわけでもありませんし、玄米を主食にしてもいません。玄米菜食でも良いかなとは思いますが、今は積極的に実施する意思も理由もないので、わりと食べたいものを食べています。(それでも、他の人に言わせると、随分と野菜をたくさん食べているらしい)

自分の話はさておいて、マクロビオティックに飛びついた人の中には、「マドンナや坂本龍一が愛好していて、欧米ではだいぶ前から注目されている健康法で、元気できれいになれそう」という理由で始めた人もいるでしょう。

それなら昼のTV番組で「更年期には大豆イソフラボン」と唱和しているのと変わりはありません。それだけで長続きする人は少ないでしょう。

古くからマクロビオティックや玄米正食などを真剣にしている人というのは、誰がしているとか、どこかで流行っているとかは関係なくやっています。それも「ただ健康のため」という範囲を超えて、自分の生活に取り入れている人がいます。

菜食が不殺生と結びつくように、「身土不二」も自然の摂理に従う思想として生き方や考え方に入りこんできます。桜沢如一さんをはじめとする、指導者の方たちが書いた本の内容は、食と体の関係だけにとどまりません。基本が陰陽思想なのですが、そこから中庸に始まり、平和とかの話になります。ある種の宗教のような面があることは、たいがいの人が感じるでしょう。

最近のおしゃれな装丁の入門書からは、その手の宗教っぽさは薄れています。時代が要求する形に従うのは、今に始まったことではありません。桜沢如一さんの著作には「戦争に勝つ食べ物」という本だってあるのです。同盟国の総統ヒトラーとムッソリーニがベジタリアンであることを賛美し、我が帝國国民もそれに倣うべしと、ものものしい文体で綴っています。

これはもちろん本心ではなかったかもしれません。あの時代に生き残るために唯一選ぶしかない、苦渋に満ちた決断だったのでしょう。当時の実践者はどんな思いで、指導者の言説を読んだのかわかりません。ひたすら従った人もいれば、変節を嫌って遠ざかった人もいたと思います。

ある人にマクロビオティックがもし思想として身についているのならば、今後社会の趨勢がいかに変わろうとも、また指導者の言説がどう転ぼうとも、さしたる影響は受けないでしょう。その人が自分で考えるための礎として、それを選び、主体性をもとに実践しているのならば、もはや「マクロビオティック」という名称にこだわりを持つことさえなくなるはずです。

思想者ではなく、「信者」になること、それも教義ではなく「ある個人」や「ある団体」や「ある書物」の信者になってしまうことは不幸なことです。主体性の放棄と言う点では、「更年期に大豆イソフラボン」の三日坊主と変わりはないのかもしれません。

物を食うという行動一つとっても、自分が選んでする以上は、そこに自らと一度向き合う姿勢が要求されて当然といえます。多くの「○○で健康になりましょう」流健康法が、そこから逃げるための手段としてしか使われえないのが実情です。それに比べるとマクロビオティックは、自省のチャンスが豊富にあります。また同時代に隆盛を極めた、西式健康法や、今でも根強い人気のある肥田式強健法なども、同じことが言えます。(注.私はどれもしていません)こういうものは何をするかという以上に、どう付き合うか、どう向き合うかということのほうが重要なのかな、という気が私はしておるんです。皆さんはどう思われますか。

posted by 徒手空腹 at 20:33| 大阪 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | ニュースを読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。