2006年10月26日

ばちと刀 2

前回揚げた説明の中で親指をクイッと曲げてと書いてしまいました。親指を曲げるというと普通は先の関節を意味しますから、これはあまりいい表現ではありません。挟み込むとでも言うべきでした。

実際いつもやってみるように持ってみたら、親指自体は曲げないでむしろ反らせ気味にしていることに改めて気づきました。中手骨という指の下の骨を含む親指全体を、手のひらの真ん中に寄せて、そこにばちを挟んでいるような感じです。

そうやって腕を上に向かって伸ばしていくと、自然に腕全体が内旋(回内)されてきます。内旋または回内は聞き慣れない言葉かも知れません。「気をつけ」の姿勢で腿の横についている手のひらが、後に向くのが内旋(回内)です。(その反対はもちろん外旋、回外になります)

腕を内旋したまま上に挙げてみましょう。肘を伸ばしていると軽くロックされているような感覚がありませんか?また肘を曲げてみると、何となく日本的な「見得を切る」ような姿勢になることに気づかれると思います。

どちらにせよ、この状態から開放されるときに力は発揮されるわけです。上腕が回外しながら下へ落ちていく手先は美しい軌道を描いて目的の場所へ運ばれます。

武術や日本の伝統的な身体操作について書かれた本を見ると、よく「筋肉ではなく骨を動かせ」と書いてあります。大体はそういう場合、肋骨や上腕のことが多いようですが、末端においても当てはまる術理であることが感得できるでしょう。
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2006年10月24日

ばちと刀

和太鼓を始めて間もないころ、先生や上手な人の打つ姿に憧れて真似をしようとした動作の一つに「指を伸ばしたままばちを握る」というのがありました。当たり前ですが、5本全部伸ばすわけではありません。また太鼓を打つ瞬間は、ばちが飛んでいかないようにしっかり握っています。構えた姿勢から面に当たる直前までの間、親指をクイッと曲げて他の4本はパーのままばちを手の中に固定するのです。

手を上げてパーでばちを持つには、ただ親指に力を入れるだけでは無理です。やったとしても、何かギクシャクした不自然な姿になります。上腕の骨頭を少し前に回すようにして肘を伸ばし、手首を少し反らせ気味にし、親指の付け根の骨を遠くへ突き出すような感覚でばちを持ちます。

これは要所要所ですると見た目が格好よくきまります。それだけでなく、打つときに余分な力が入らずに済むという良い点もあることが、できるようになって後からわかりました。

太鼓を打つときのフォームは、足、胴体、肩、肘、手、指にいたるまで、美しく見えたときが最も良い音が出る時だということを、いつも実感します。(とくにビデオで自分の不細工な姿を見た日には心の底から思います)

身体操作に関して検索していると、古流武術を修行されている一樂庵様が、親指の関節という興味深い記事を載せられており、今回のことに通ずるものを感じました。
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2005年09月22日

左を制する者は…2

太鼓を習い始めて何回目かのころ、三つ打ち(ドンドコ、ドンドコの連続)を学んだ。右右左だけの単純な打ち方が思うようにならず悪戦苦闘した。どんなことでもそうだが、最初の頃は力の入れ方がわからず、すぐに腕が固まってしまう。

いまでも上手とはいえないが、少なくとも無駄な力が入って疲れてしまうようなことは無い。小脳に運動パターンのモデルが出来たのだろう。

いったんそうなってしまうと、今度は出来ない状態のことを正確に思い出すことが難しくなる。漠然と苦労したことは憶えていても、どのあたりにやたら力が入って疲れたとか、案外記憶がない。

左で三つ打ちを始めたのは、これを思い出すためだ。右で出来ることを、ぎこちない動きの左にさせていると、先生がいとも簡単そうにしているのを、歯がゆく眺めていた心情と同じになってくる。ただ、今回は先生も自分であるところが、以前と違って心強い。

「出来なかったことが出来る様になる過程」を研究するのに、これほどいい方法もないのではないだろうかと、最近思い始めたのである。
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2005年09月20日

左を制する者は…

「左を制する者は世界を制する。」
私がよく子供に聞かせる言葉である。といって、子供にボクシングをさせているわけではない。世界チャンピオンではなく「いろんな世界」という意味だ。

包丁で人参を拍子木切りにする時、ハサミを使って複雑な形を切り取る時、お札の束を数える時(これは無いな)、すべて左手(正確には利き手で無いほう)の操作がものを言う。

身体に鍼を打つ時は、利き手で鍼の柄を持ち、反対の手の指を皮膚に密着させておこなう。上にある手を刺し手、下にある手を押し手と呼ぶが、押し手が拙ければ刺し手をどんなに工夫してもうまくいくことはない。

最近はサボっているが、一時はよく左に箸を持ち替えてご飯を食べていた。左右がより自由に使えるようにするためである。マッサージなどの手技療法では、左右同じように使っているつもりだが、実際は微妙に違いがあるだろう。どちらの手でも鍼が打てるくらいでちょうどだと師匠に言われた。

和太鼓を始めたきっかけも、当初は左手の開発が理由だった。「楽器」とか「音符」とか「リズム」とかに無縁だった私は、さして気乗りもしないのに、知人に誘われて仕方なく稽古の見学に付き合った。先生から「まあ、一度叩いて」と勧められてやってみたら、左右同じに打とうとしてもなかなかできない。出来ないところがこれは面白いと、次の週も稽古に来て「今日はじゃあ曲の練習も」と続ける内に、やめられなくなり六年以上経った。

今は治療技術向上のために、太鼓で左手を鍛えようという気はないが、逆に演奏のために左手の練習をまたやり始めている。。「ドンドコ」の地打ちは通常。右右左で打つが、これを左左右で打ったりする練習を、日常暇があるとしている。目標は「和知太鼓」の「黒豆」を逆の手で打てるようになること。

この練習を続けるうちに、何か新しい発見があるのではないかと期待しているのだが、その辺は次回に。
posted by 院主です at 23:32| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 稽古をする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月16日

子供の習字3 筆の上下運動

「もう少し筆を浮かせろ」などと時々子供に言う。毛筆の線は縦横斜めどれにしても、単に筆が水平に移動してできるわけではない。起点で押さえた後に生じる筆のコシによる反作用で、筆がほんの少し浮き上がる。その瞬間に紙の上を走っていくことで、線も跳ねも書くことが出来るのだ。

筆の上下運動の感覚をもたせるには、できるだけ小さな力で筆を握らせるのも方法かと思う。あんまり力を抜くと、筆をはしらせることさえ出来ないから、その分だけぎりぎり入れるようにさせてみる。太鼓のバチの打ち方にも似ている。

昔の人は稽古のことを「手ほどき」と呼んだが、本質を表わすいい言葉だと思う。“手が固い”状態をどう“解く”か、昔の人も試行錯誤していたんだろう。
posted by 院主です at 22:22| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 稽古をする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月08日

子供の習字 2

私もそうだったのだが、子供に毛筆で字を書かせると、往々にして縦長の細長い字になることが多く、特に漢字の場合にその傾向が強い。

原因を考えてみた。

1.真ん中に縦の心棒が一本ある字の場合

永、木、土、中、年、生など小学校の最初に習う字に多い。これら画数の少ない字は意外にバランスを取るのが難しい。木や中など大半(半の字も!)は横線から書き出すのだが、その時見えない真ん中の心棒に意識が集中してしまう。心棒から左に離れてスタートするのがしにくいのだな。なので最初は水、永のように真ん中の心棒から始める字で練習した方が、やはりいいのではないかと思う。縦線にあった横サイズを身につける練習として行なえばいい。もちろん「水」がきれいにかけても、「中」はうまくいかないかもしれない。いずれにせよ、そういう時は見本より自分の字をじっと見させる。「自分の字が縦長」であり「横の長さが足らない」ことを認識させなければいけないからだ。「縦長」はわかっても「横が足らない」にはなかなかいかないものなのだ。

輪郭のポイントだけを記して、書く前に目で「きれいな形の字」を書かせる方法をとってみた。これは結構効果があり納得しやすいようだった。


2、高、念、思のように複数の部首が重なるもの。

例えば「思」だと「田」に「心」と考えて、そのまま書いてしまうから長くなる。平たくさせる練習をすればこれは容易いかと思う。


まだ原因はありそうだが、今日はこれまで。
posted by 院主です at 23:52| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 稽古をする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月05日

子供の習字

小三になる長男に書道を教えている。夏休み中一足飛びに進歩させようと、とにかく「永字八法」を練習させている。

楷書の「永」という字に含まれる代表的な筆使いである、点(側ーそく)、横画(勒ーろく)、豎画たてかく(努ーど)、鈎(てき) 、右上がりの横画(策ーさく)、長い左払い(掠ーりゃく)、短い左払い(啄ーたく)、右払い(磔ーたく)を順番にしつこく練習させてみた。

あまりそればかりやってても苦痛になるだけなので、時々他の字も書かせてみる。これが見事なほど、「永」の字が上手くなった程度の分だけ前より良くなっているのだ。今日あたりは大分ましな「永」が最初から書けていたので、初めて書く字を試させたらそこそこの形にしていた。

人には向き不向きがあるし、練習のやり方にも相性があるだろうが、このやり方はわりと有効だと思う。

子供が毛筆を持ってうまくいかない場合、多くは筆のスピードが出ないところにある。よく紙を筆で破いてしまう子がいるが、あれはその典型だ。これを克服するために、起点、曲点、終点と線上に緩急のリズムをつけさせる必要がある。うちの子の場合「トン、シューゥ、トン」と言うような擬音を一緒につけながらやると、調子が出ていた。

追加ですが
posted by 院主です at 23:56| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 稽古をする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月30日

棒術の稽古

少し前から古武術を習っている。特に棒術がやりたくて入門した。
実に面白く基本の面打ちだけでも飽きない。顔を常に前に向けたまま頸から下だけを回転させ、その力をクランクにして面を打つ。
これだけのことがやればやるほど奥深く面白い。先生の動きは非常に素早く、どれほど練習したらこないになるかと思わないでもないが、それでも指先の力の入れ具合や腰の意識の持ち方など、ほんの少し工夫するだけで威力が全然変わってくるのがわかるのがうれしい。
「顔は常に前に」は敵から目を離すなという意味である。
これはパントマイムの「定点固定」の練習にそっくりだ。このあたりに関して面白いページも見つけた。
パントマイムと武藝
“壁”にぶつかる話は「へぇ〜」より「ほぉ〜」といった感じでしょうか。
posted by 院主です at 22:17| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 稽古をする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月12日

見る太鼓

先日、聴覚障害者の和太鼓グループの方と練習をした。
私は彼らの演奏を見聞きするのは初めてだったのだが、予想以上にグレードが高くビックリした。
「聞こえないのに打てる」というのではない。といって「聞こえないから打てる」ということも出来ないだろうが、ともかくよく考えて練習してるのがわかるのだ。
和太鼓というのは、単に正確に音を出せばいいというものではなくて、打つ時のフォームの美しさや力強さが問われる。早い話が格好よくないといけない。また格好よく叩いた時は、自然にいい音が出るようになっている。その辺は特に注意して努力しているようだ。

また一緒に練習したいが、自分ももうちょっとマシな叩き方が出来てからにしよう。
posted by 院主です at 23:50| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 稽古をする | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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