2004年12月29日

ためが足らない

先日、古武術の稽古納めに少し出ることが出来た。11,12月は忙しくてほとんど出られず、不足分を家で練習するつもりが、それもいい加減なまま過ぎてしまった。
しかし今年で最後の日の稽古では、一番大事なところを改めて注意されたので、何回か分の価値があったかなと思う。もちろん注意されないくらい出来ていれば、もっと先へ進めるのだが、まあ今の私はこんなものだ。

一番大事なところはやはり「ため」が足らないところである。肩に担いだ棒を落とすには後に担っている側の肘を肩より上に向ける必要がある。打ち込んだ際に収縮する筋が、打つ前の段階では最伸展することで、瞬間的により大きな力で初動することが可能になる。逆に拮抗筋は最初に収縮することで、打った際には脱力して伸展され、勢いを削がずに済む。
まさしく初動負荷の運動である。

「ためを作ることは、実戦では相手に攻撃のタイミングをつかませるため良くない。ノーモーションが良い」と言う人があるが、ノーモーションと「ため」を作ることは相反しない。問題はためている場所が身体の末端か中心かの違いだろう。体幹の動きでためを作れば見かけは少しの変化でも、作用するところは大きい。また甲野善紀氏がよく言われているように、力点を動かすのでなく支点を移動すれば、もっと動きは速く、なおかつ読まれにくいものとなる。いずれにせよ、ためを作っていないわけではない。

私が習っている先生は楷書と行書草書の違いと言われる。これは書道をやっていた人にはとてもわかりやすい喩えだと思う。楷書をさんざんやることで、「曲がり」「はね」や「止め」「払い」などの“ため”を最も自然な状態で作れるようになる。きれいな字にするには支点と力点の移動が必要なのだ。これが出来て初めて行書の運筆が可能になる。

稽古始までにしっかり練習しておこう。
posted by 院主です at 00:45| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月24日

妙技!

時々覗いているサイト運動おんちクラブ掲示板に紹介されていた映像が面白い。

http://www.detoursvideo.com/Elsewhere.htm

この手のダンスは何という名で呼ばれているのだろうか?

posted by 院主です at 12:25| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月29日

「どんくささ」を解明する2

身体操法に関する情報が数年前から盛んに行き交い、私も少なからずその影響を受けてかなりの収穫を得ることが出来た。得たもののひとつは自らの身体動作の改善であり、一つは仕事で患者さんを診る上で新たに加わった知識である。
よく読んだのは伊藤昇著「スーパーボディを読む」や高岡英夫著「究極の身体」、ほか甲野善紀氏の一連の著作などである。故伊藤昇氏の影響は大きかったらしく、どれも中軸を為す考えはよく似ている。少しずつ違いもあり巷の賛否もかまびすしいが、それはまあおいておこう。少し系統が異なるが、以前記したように小山裕史氏の初動負荷理論もはずせないし、ウエブサイトにもいいものがある。

ともかく理論に若干の違いはあれども、目指していることはみな一緒だ。
ようするに物理的に同じ仕事を最小の力で、より速く、より効率的に行なうにはどうすればいいのかということである。そしてこれに成功している人間のパフォーマンスは、そうでないものと比べて万人が見て美しいものだというのも重要な点だろう。
これらはある程度スポーツや芸能のできる者が一層の向上を目指す場合にも、運動音痴といわれる人間が人並みになるためにも共通して使える理論になっている。

しかし、しかしだ。後者の問題に関して言えば、実現するに当たっては決定的に欠けていることがある。

出力には触れていても入力にはまったく触れていないのだ。
私のように「どんくさい」と言われたり(今でも言われているのか!)、運動音痴と呼ばれて悩む人種には、人の動作をうまく真似する能力に欠けている。出来る出来ない以前に、動きの実態が正しく眼から脳へ伝わっていないらしい。左右の眼球が目標物にたいし協調して追うことが出来ないため、情報が正確に入力されていないのだから、どんなに怒られても励まされても、同じことが人に比べて遅れるのは必至である。
これはほんとに文字通り盲点であった。
眼のサイトの内藤貴雄先生の本では、まずそれを改善することが勧められており、その具体的な方法も紹介されている。
大事なことに気付かせていただきました。心より感謝します。





posted by 院主です at 23:26| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月26日

「どんくささ」を解明する

「どんくさい」とよく言われた。
小さい時、いや少し大きくなってからも言われたし、つい最近まで耳にしていたような気がする。
道で良くこけたし、スポーツは何をやっても新しい動作を身につけるのに、人の倍時間がかかった。
瞬発力や反射神経そのものは単独で計測すると悪くないし、記憶力もそれなりにいいはずなのに、一つのまとまった動作を覚えるとなると、これが今でも不得手だ。
なぜなのだろうとずっと考えていたが、ようやくここにきて有力な答にめぐり合うことが出来た。
眼のサイト
ここで説明されているようなことが、教育の分野で深く理解、研究されたらよいだろうなと心から思う。
意志が弱いとされる学習障害児や、注意力散漫とされる子供、そしてどんくさいと言われる子供が救われる可能性がある。
posted by 院主です at 23:37| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月16日

スクワットで骨折 2

患者さんから「スクワットくらいで疲労骨折するもんですか?」という質問を受けた。
膝の故障はよく聞くが腰の骨というのは、私も正直初めて聞いた。あまり運動をしていない最近の子供の骨はやっぱり弱いので、そこに無理をかけたら危ないのだろう。
無理というのは回数だけでなくやり方の問題でもある。
上半身をまっすぐ立てたまま真下に落下させるようなつもりでやればまだいいのだが、膝を曲げる時上半身が前に流れていると、起き上がるたび腰にかなりの負担がかかる。
椎間板への圧力も増大するし、腰椎に付着する筋肉の牽引力も大きい。これはつらい上に体を痛めるだけでトレーニングにはならない。
ところが慣れてない人がして、特に疲れてくるといつのまにか前屈みになってくる。そんな時は必ず膝の伸びきる直前あたりで、「うぃ〜っ」と太腿が最高にしんどいのを我慢して力を入れなければならなくなる。
これは逆でどうせやるならば、膝は90度まで曲げてそれ以上は下さず、そこから伸ばす瞬間に最も力が入るようなフォームでするべきである。
posted by 院主です at 22:51| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スクワットで骨折

TV収録の児童、スクワットで疲労骨折 NHK
文字通り痛々しい、いろんな意味で。
スクワットの勝ち抜きをやらせたら、疲労骨折した子が出たという。「頑張りすぎて筋肉痛になる」と止めていた校長先生もまさか骨折までするとは思わなかったろう。
筋肉痛を気にするのは若干過保護な気がするが、今の運動理論ではスクワットや腕立て伏せなどの過剰な反復は、(少年期には特に)効果より害の多いことがよく指摘される。番組を見ていないのではっきりとはわからないものの、おそらくはそういうことよりも、苦しみに耐え抜く精神や根性を教えたかったのだろう。
あまり理にかなってない方法で精神主義や根性論を植え込もうとするやり方は大嫌いなのだが、しかし今の子供を取り巻く教育環境や大人の態度を考えると、少しくらいそういうものを感じさせる経験があっても良いかなと思うこともある。
骨折した児童は現在元気に学校へ行っているそうだ。大人が何も言わなければ、その子は「骨が折れるまで頑張ったやつ」としてちょっと誇らしく思い、周囲にも一目置かれたりするかもしれない。それはそれで良いと思う。体に害を与える運動をさせることは絶対に反対だが、頑張ったこと自体を否定してしまうのはもっといけない。

私の小学生時代は現代の平均的な児童に比べればよく動いている方になるらしいが、当時の基準で言えばあまり運動をするタイプではなかった。なので六年生の時はたまにスクワットなど四、五十回でもしたらその日の晩には筋肉痛になったものだ。中学に上がってからは腕立て伏せや腹筋運動などという、今考えると「やや問題あり」のトレーニングとセットで、毎日少しずつ回数を増やして強くなろうとした。そのおかげで高1の時にはスクワットなら500回くらい屁でもなくなっていたが、あれが「強くなる」ことだとは今は全然思っていない。
単純な反復運動で身につくのは、スポーツや仕事などの実際の動作で役に立たない“無駄な筋力”である。
過去に戻りたいと思うことはほとんど無いが、これだけはやりなおせるものならやりなおしたい。

そんなことだから、今はちょっと動かしただけでリタイヤしてしまった小学生の諸君は気にせんでもいい。
体も精神も強くなる方法は他にもあるし、本格的に筋肉を鍛えるのは中学生になってからでも大丈夫です。
posted by 院主です at 00:33| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月12日

バタ足に続き

子供に逆上がりを教えていて、自分にこれが出来るようになったのはいつだったろうかと考えた。他のことはいつ出来るようになったか結構覚えているのにこれだけ思い出せない。
私は生まれつき運動神経がそんなにいい方ではないので、なんでも時間がかかった。それで人知れず練習を重ねる間に成功するので、最初から上手く出来る人より感動は大きかった。だがそれ以上に今になって心から良かったと思えるのは、「出来ない」から「出来る」までのプロセスを長く経験し記憶できたことである。前回の“バタ足の改革”もその結果である。
だが逆上がりはいつ出来たか全然覚えていない。小1の時にはまだ無理だったと思う。2年から5年の間のようだが、初めて出来た時の感動もまったく頭に残っていない。そのせいもあってか逆上がりを子供に教えるのはなかなか苦戦している。
しかしながら逆上がりの指導法は私に限らず難しい問題のようだ。
例えば跳び箱なんかは馬の背に半分から赤いテープを貼って、そこから先に手を着くようにやらせる方法がよくとられる。最初は馬に乗るだけで、そのまま手を動かさずに降りる。次はそれを続けて行なうように指示すると、これだけで各段に出来る子が増えるのだ。
そういう分離式の運動指導法が逆上がりではとりにくい。斜面台やバスタオルを補助に使った方法があるが、これは補助のある時と無い時の差があまりに大きすぎるように思える。
腹筋や上腕の基本的な力の不足もあるだろうが、どの程度が最低限度必要かもはっきりしていない。最初の踏み切りから下半身の挙上時に身体が鉄棒から離れないようにするため、ほんの少し力が要るがこれはよほど弱い子でなければ可能なラインのはずなのだ。
どうすれば蹴り上げる力を回転に変えられるか?

どんなヒントでも結構です。ご存知の方また同じ悩みをお持ちの方、コメント下さい。
posted by 院主です at 22:15| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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