2013年09月29日

フェルデンクライス・メソッドATM後にあったこと  左手の学習

5月くらいからフレームドラムを習っていて、なかなか思うようにならないテクニックがあります。

ちなみにフレームドラムってこんなのです。

動画のヴェルヅさんは左手で太鼓を下からつかみながら、主に太鼓の周囲を叩いています(ka!という音)が、その体勢で右手と同じように太鼓の中を叩く(dun!とかbuk!っていう音)方法もあり、これが難しい。

とにかく脱力して右手と同じように手首から先がでんでん太鼓のように回して、この動きを太鼓に手を添えながら行えばいいのですが、言うは易し行うは難しなんですね。

それがATMの後に家に帰って練習したらとても簡単に出来てしまいました。

右手で出来ることを左手に覚えさせようとする時は、とかく意識的に運動の外形を想定して、それをなぞる努力をしたり、右手の真似を鏡に映すように無理に行おうとします。これをやってると、だんだんどこかに痛みや異常を生じることがあります。

なぜそういう危険性があるか?

おそらく小脳にインプリンティングされた運動を、大脳で分析しても、自分が右手で経験したプロセスを必ずしも辿るわけではないからでしょう。

上手く辿れる状態。右手の時と同じである必要はないけど、自然に身体がそこへ行きつくような体勢が、メッソッドにより作れるということです。

「重力を感じる」「自らをスキャンする」それだけでも、大きな変化を得られることに改めて気づかされました。

なおフレームドラムの名人の演奏はたくさんyoutubeで見られます。
これなんかお勧めです。7拍子の上にゆっくりと歌が入ってます。難しいだろうなあ…

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フェルデンクライス・メソッドのATMを受けてきた

以前から関心がありつつ、本格的なレッスンを受けることのなかったフェルデンクライス・メソッドのグループレッスン(Awarness through Movement=ATM 直訳では動きを通した気づき)を京都で受けてきました。

フェルデンクライス・メソッドが何かについては、私から概要を説明するもんでもないので、リンクを張っておきます。日本フェルデンクライス協会

個人レッスン(Functional Integration=FI)は受けずに、今回色んな方がされているのを見学していました。

自分が目指していたものと限りなく近い印象を持っていたのが、今回より大きく接近できたような気もしています。
レッスン中に色々な気づきを得たのは面白かったのですが、そのあと家に帰ってから行った実験がとても意義深かったので、次に投稿しようと思います。

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2012年03月21日

やっぱり鍼は効くなあ

恥ずかしながら、今年になってひどいスギ花粉症にかかったようです。いつもなら5月くらいに、何かの花粉で短期間やってくるだけの症状がもうきてしまい、しばらくグスグスしながら、いろいろ試していました。主に減食と肋間のマッサージなんかで、どれくらい効くかやってたんですが、あんまり思わしくないので、たまらず鍼をやりました。自分で自分に一人さびしく打って、じっとしてるんです。他人から見たら、変な光景なんでしょう。

やっぱり自分の場合は、鍼が一番キレがいいなあとあらためて思いました。ちょっと目の痒みだけ明日もまだやることがありそうですが、鼻はティッシュ不要です。

私は本来は非侵襲的な方法が好きなので、自分の体に症状が出た時には、出来るだけ鍼を使わずにいいやり方はないか探すのですが、結局は自分に鍼をすることで小さな発見ができて、患者さんへの負担を減らすことにつながることがあります。

今回の発見は「ひょっとこ口で息を吐くと、鎖骨の位置が良姿位へ向かう」ことでした。発見というより、再確認ですが、これは誰でもすぐに役に立つ方法につながります。実際に今花粉症で困っているけど鼻で何とか息を吸えて、なおかつ周囲に家族以外誰もいない人で、なおかつ「ひょっとこみたいな顔してると、ずっとそんな顔になって戻らないんじゃない?」とかいう根拠のない懸念をお持ちでない方には、試していただきたい。やり方は極めて簡単で、鼻で息を吸い、ひょっとこ口で息を吐くだけです。


ラベル:鍼灸
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2005年08月21日

リズムは腎、メロディは肝が主る 2

前回ちょっとした実験で意識できると書いてしまった。中国医学の腎や肝という体感不能の存在を前にして、「意識できる」と言うのは不適切だったかもしれない。筋肉の動きと音の扱いに関係があることがわかれば、おのずとその筋に関係のある臓腑とのつながりも理解できる、ぐらいの意味にとっておいて欲しい。

まっすぐ立って「ア〜〜〜」と声を出しながら、体を前に曲げたり、後に反ったりしてみる。前屈すると低い声が出やすく、後に反ると高い声が出やすい。曲げる部分が腰でなく頸ならば、もっと明確だ。同じようなことを側屈(左右に体を倒す)で試しても、あまり変わりはない。左右どちらに、またどれだけ倒しても音の高低のとりやすさに変化はない。

メロディは身体の前後の動きによって操作されやすいことがわかる。実際オペラや民謡の歌い方を見ていると、体は横にはあまり動かず、前後に揺れていることが多い。旋律をあわせるには、前後の動きに関係する筋肉の扱いが重要だということである。

リズムをとるための筋肉はこれとは違う。仮に体を前後に揺らしながらリズムを取ろうとしてもうまくいかない。ゆっくりなうちはまだいけても、速くなるにしたがって困難になってくるのがわかる。前から見て左右線対称の形でリズムを取ることは合理的ではないのだ。

リズムにあわせて横に揺らす動きは、歩き始めたばかりのような幼い子供でもやってのける。古い青春ドラマには「みんなで肩を組んで歌を歌うシーン」がよくあったが、あれはリズムをあわせているだけなので、音痴が混じっていた可能性はある。

体を左右に揺らしたり倒したりすることは、前後の動きに比べてはるかに疲れにくい。筋肉の収縮より脱力が中心の動作になっているからだ。左側に曲げる場合は右の支えを抜いて、左に落とすだけで良い。真ん中に復元する場合はもちろん右側を少しは収縮させなければいけないのだが、力を入れている意識はほとんどない。反作用的な振り戻しの感覚だけでやっている。筋ではなく骨を動かしているという言い方をする人もいる。

「肝は筋を主り、腎は骨を主る」というのが、中国医学の基礎にある。あたかも弦の長さを変えるように、筋肉を伸び縮みさせて音の高さを変える肝と、骨の重みを振り子にしてリズムをとる腎が体の中で機能しているのだ。

なお我々が行なう脉状診で、肝木の基本の脉は弦であり、腎水の基本の脉は石という字で表されている。



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リズムは腎、メロディは肝が主る(つかさどる)

タイトルの言葉は何年か前の朝、起きる直前の夢の中で聞いた言葉である。なので出典があるか、ないかわからない。誰かから聞いた知識で忘れていたのが、夢の中で再生されただけの可能性もある。珍しい考え方ではないからだ。

メロディは天上界からの贈り物であり、リズムは大地からの生まれるものだいう。空気の振動の違いによって生まれる音の高低が、旋律となって人の耳に届く。天からの便り「風」は世界の始まりからある音楽である。

人の身体において、風を受け、風から身を守るものは肝である。肝は五行で木に属する。森林は風を受け止める砦なのだ。

リズムはビートであり、重力によって生ずる。風は水平に走るが、水は必ず下へ落ち、火は必ず上に昇る。上下運動がリズムを生むのだが、人体でこれを統括しているのは腎なのだ。腎は五行では水に属するが、命門相火という火を抱えている。

これらのことはちょっとした実験で意識することが出来る。

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2005年01月11日

ツボの位置を統一?

はり・灸のツボ、日中韓でズレ 92カ所を統一へ

「え、そんなことテレビで言ってたんですか?」
と、恥ずかしながら私はこのニュースを患者さんから聞いた。

こちらにもあるように、ツボの位置が国や文献によってずれているのは我々にとっては常識だし、実際に臨床で使う場合、寸法にはさほどこだわらない。求めるべき反応が一番出ている所に取るのだから。
記事にあるようなうろたえかたをする臨床家が出るとは、とても信じられない。
ただはっきりしているのは鍼灸学校の学生が「試験の前には決めておいてくれ!」と切に願っていることだけである。
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2004年09月26日

160センチの蚤

今日テレビを見ていたら動物を人間の大きさに置き換えて、仮想オリンピックをするという企画をしていた。
昔からある発想で「カブトムシがヒトと同じ大きさだったらブルドーザーを引っ張れます」とか「伸張160センチの蚤がいたら高さ30メートルのビルを飛び越えられます」とかそんなやつだ。
まあ娯楽番組に目くじら立てるのも無粋なことだが、これは実のところ科学的には何ら教えるところはなく、ある種の誤解を生む可能性もある。
筋肉の断面の直径が2倍になれば断面積は4倍に対し、質量は8倍になる。つまり大きくなればなるほど、自分を持ち上げるには効率が悪くなって当然なわけだから、もし仮に蚤が我々と同じ大きさになっても、大したジャンプが期待できるはずも無いのだ。
人間の体の各パーツを見ればよくわかる。手の握力を発揮しているのは前腕から指に続くいくつかの筋肉で、太いところでもたかだか5センチ前後しかない。それが成人男子なら40キロの力を持っている。脚全体や体幹の力を使っても40キロは重く感じるはずなのに、小さな手が軽々と出してしまうことに誰も不思議に思わない。そのことこそ不思議といえば不思議ではないだろうか。
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2004年08月05日

必要悪夢

柔術の稽古で受身が拙くて頸を少し傷めた。すぐにそれなりの処置を自分でしたので、大して長引くことはないと思っていたが、前屈時の痛みが意外にしつこく三日たても取れない。そんなにきつい痛みではないためもう一度自分で診直すか、それとも久しぶりに信頼できる余所の先生に治療してもらうのも楽しいかなとか考えながら昨日は寝た。
小さな奇跡はこの朝に起きる。
日常の一部を切り取ってグニャリと歪ませて引き伸ばしたような夢が次々に展開する。最初は楽しそうな内容だったものが、少しずつ悪夢と呼べるようなものに変わっていき暑苦しい中に脂汗をかきながら目が覚めた。脇と股関節を思い切り閉めつけるような不自然な姿勢でしばらく力を入れ続けていたらしい。
ほっとして緊張を解いて体を起こすと、頸の痛みがほとんど消えていることに気付いた。多少の違和感は残るものの昨夜までに比べてはるかに良くなっている。
体を狭いところに閉じ込めるような不自然な姿勢(そんな夢を見ていたわけではない)が、結果的に患部の筋肉の異常を治療していたのだ。
夢は五臓の疲労から起きるというのが中華伝承医学の考え方である。体の異変が心に出た一種の症状と言うこともできる。
実は症状というのはそれ自体で治療の役割を果たしていることが多い。たとえば筋肉痛は損傷した筋を再生させるときに発する。痛みは再生が完了するまで筋肉を休息させようとする身体の知恵だ。
夢は身体の異常を知らせるだけでなく、積極的に治療を試みているのだろう。覚醒している時の現実の病が治るならば、実害のない悪夢など安い犠牲である。
我々は現実の価値観に沿って良い夢、悪い夢と区別しがちだが、体が持つ「平衡への欲求」から見れば、全てが良い夢なのかも知れない。身体に生じた病から何とかして逃れるために、日中の意識が離れた時間を狙って奮闘してくれているのだ。
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2004年07月04日

バタ足の是非

子供と近くのプールに行った。六年の娘がクロールの練習をするのに息継ぎを何回かするともう足が立ってしまう。顎を引くようにしようとはしているが、どうも上手くいかないと言う。
見ているとバタ足で水煙がもうもうと出ている。
「バタ足って言葉は忘れよう」
「左右交互に腰で後へ向かって押すような感じで」と言って、コースの隅っこで少し練習をした。
すると今度は水煙を立てず、なおかつ今までよりきれいに泳ぎだした。結局その後50メートル近くを、初めて止まらず泳いだようだった。
私自身水泳は得意な方ではないが、楽に手足を動かす方法は自分が大人になってから断続的に身についた経験がある。
「手ではなく胸で水を掻き、腰でキックする」
いわゆるバタ足は膝を曲げてすれば沈むし、かといって太腿の上下を意識させるとすぐに疲労してしまう。
運動音痴の者にとっては、あれはまったく練習にならんのではないだろうか。
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2004年06月12日

空腹の扱い方

今日、少食の効能のついて聞かれたのでついでに。

腹が減るとは何か。
食物は現金ではない。消化・吸収(加工・販売)という事業なしでは、エネルギー(現金)に換金(代謝)できない資材でしかない。
これがよく勘違いされている。食えばすぐ身になると思われている。医学や栄養学を学んでない一般人ならまだしも、医者や栄養学を納めた人でもそんなふしがある。
吸収できないカルシウムどっさりの牛乳で「骨を強くしよう」なんて言うぐらいだから。
ところで本題。
資材部からの「資材が欲しいよう」という叫びが「空腹感」である。大事なのは「欲しいよう」であって「ないよう」ではないところだ。
あるのに「欲しいよう」という時があるんではないか?

1.資材を買い込みしすぎて腐らせているため、倉庫には入っているのに新しい資材を要求してくる。(喰いすぎでたまっているものが多く、それらは腐敗しかかっている)

2.確かに資材部には無い。ところが全然売れてない!加工はしたものの売れずに、販売店をぐるぐる素通りして回っているだけ。(血中の糖や蛋白の増加)

どちらも今はすぐに資材を購入すべき時ではない。なのに資材部長は全体のことを知らずに、無いからよこせと言う。
アホッしばらく休んどけ!といいたいところだが、ここは優しく「君は仕事のしすぎだよ。毎日、朝昼晩仕事をして当たり前だと思っているだろう。今日くらい休みたまえ」となだめてやった方がうまくいく。(これは自分の身体に対する言い方)
そして「でも退屈だし若いものをぶらぶらさせてもいかんから、掃除ができたらちょっと手を貸してくれ」
いままで資材部にいた若い連中(血液とその中の栄養)は、ザアーと他の販売部署など(筋肉など)へ流れ出す。せっせせっせと働いて、みんなの労働意欲が活性化する。(力が沸いて出てくる)
バンザーイ
「なんだ今まで買い込みすぎだったんだ。」ってことでちょっとケチるようになる。(少食になる)
…わけです。
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2004年05月13日

汗をかく運動

前々回どんな運動が汗をよくかくかということについて言ってなかったので、それだけ続きを。
昨日のような夏日ならたいがいの人は、外を出歩いただけで汗をかいたことだろうから、ずいぶん季節外れの話題になるけど勘弁して頂きたい。
秋冬に運動してもなかなか体が温もらないという人がいて、どんな運動をしているか聞いてみると、ジョギングやウオーキングや縄跳びだったりすることが多い。
悪くはないが早く温めるにはちょっと効率が低い。ただ漫然と歩いたり走ったりしても意外と体温は上がらないものなのだ。
ところがそれに何らかの競技性を加えるとかわってくる。例えば早歩きをするとき競走相手がいると、同じスピードと距離を行っても、一人でした場合よりはるかに短時間で汗ばむのがわかる。物理的な仕事量は同じでも体から発する熱量が増えるのだ。
技巧性が要求されるものならなおさらいい。リズムに合わせて踊るダンスや、相手の動きに対応して動くテニスやバレーなどの球技だと、それほど動いてもいず息も切れていないのによく汗をかいた覚えが誰しもあると思う。
「焦る(あせる)」とはよく出来た言葉である。焦る(=汗する)にはリズムなり敵の動きなりで外から刺激を受けて、運動の量や質をそれに対応させる必要があるわけだ。
運動の最中に働く交感神経の興奮の違いによるものだろうが、細かいメカニズムはわからない。しかしどんな運動も一人でするより複数でするほうが長続きするのは、こんなところにも理由の一つがあると考えられる。
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2004年05月11日

健康増進法と医療保険

こちら健康増進法(渉雲堂別館)に疑問や懸念が提示されているように、私もこの名前には引っかかっていた。
まず“増進法”がいけない。いきなり○のもんたが出て、指示棒片手に「今年の夏の健康増進法は葉酸とナイアシンに決まり」とか叫んでるのがちらつく。
同じつけるなら何が良かったんだろう?

健康維持法(これも治療院のHPの内容っぽい)
健康管理法(給食室に貼ってそうな)
国民健康法(国民的健康法と間違える)

やはり健康に法が付くと、どうしても健康法に見えておかしい。
私のカンでは日本人の40パーセントが同様に感じると見た。
しかし先に記した懸念とかいうのは、そんなどうでもいい事ではない。
健康というものが国家によって管理されるべきものかということについてである。
「人間には不健康でいる権利がある」
確かにそう言える社会の方が“健康”な気がする。戦時中の日本は病弱が罪のようになっていた。これはどう見ても不健康で不幸な状況だ。
ただし現在の日本には戦時中とは別の問題がある。国民のほとんど全ての人が健康保険に加入している。国保であれ社保であれ、みんなで集めた財源である。これを必要以上に使わないようにさせる工夫は絶対いる。
だから喫煙者は循環器障害の治療費の自己負担が上がるというようなことがあってもおかしくはない。か、もしくはどこかの国が実際やっているように、タバコの売り上げの一部を循環器障害の治療費に回す手もある。
ただそうすると、タバコ以外でもはっきり「身体に悪いこと」と認定されたものには、同じことを当てはめられる可能性がある。病気と習慣の因果関係を証明することはとても難しく、またできたとしても個々人の習慣の有無を判定するところでつまずく可能性もあり、そう簡単に実現もできないが、医療保険の規約の範囲で自己責任を問う余地は多少あるだろう。

法律として健康を前面に出されるのは危険と思う。しかし日本の保険制度を見ていると、患者側も医療者側も問題を抱えているのは事実なのだ。
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2004年04月26日

栄養教諭はどうなるんだろうか

栄養教諭というのが新設されることを知ったのは、こちらからである。
栄養教諭の創設=瞑想的生活
このときは「栄養教諭」で検索しても、この記事以外ヒットしなかったのを覚えている。ところが、前回牛乳と刺身について考えたついでに再度検索してみたところ、ずいぶん出てきた。5000件あまりのうち9割は学校、お役所関係からの報告だと思われるが、これらをざっと読んでも、何がしたいのかさっぱり伝わってこない。子どもに望ましい食習慣や食品に関する知識などを教える「食育」を施すため、これこれこんな資格を持ったものが要るというようなことが書かれているだけで、理念、手法、権限などについての具体的な説明はない。
ブログではこれに触れているものは少なそうだが、下のように鋭い指摘をしているのもあって、議論が賑わっている。
栄養教諭の恐怖=極東ブログ

以前どこかで読んだことだが、問題行動を起こした児童の家庭環境を調査したところ、収入や住居、周囲の環境などは意外にばらつきがあり、一概に論じることが出来るファクターは少ないのだが、唯一食事に関しては、共通点があったらしい。
詳しい数字も見ていないし、あまり正確な情報とはいえないのだが、そういうことはありそうに思う。お金があってもなくても、ジャンクフードばかりあふれているような家庭は、想像するだけで悲しいもんなあ。でも、これに対して学校の先生が何か働きかけるというのは、どこまで許されるもんだろうか。
間違った食育は、児童虐待のネグレクトみたいなものだともいえる。だとしたら、死に至るような暴力を振るいながら「親権」を訴える馬鹿親もいる世の中で、「お宅はお子さんに何食べさせてんですか?」って言う仕事はしんどそうだぞ。
ともあれまだ栄養教諭はまだ始まってもいない。親の一人としてもこれからを注意深く見守りたい。
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2004年04月20日

何でそう…

昔コント55号の「なんでそうなるの!」という番組をよく見ていた。その中の一つを急に思い出した。
西部劇に出てくるような居酒屋で、欽ちゃんがバーテンをしている。そこに次郎さんが渋いいでたちで現われ黙って座る。
「おい、どうして何も出てこねえんだよ?」
「いや、何もおっしゃらないから」
「男が一人座ってりゃ、何が飲みたいかぐれえわかるもんだろ」
ここでしばらく不条理な問答が続いて笑わせるのだが、結局業を煮やした欽ちゃんが
「お願いですから、何が飲みたいか言ってくださいよ」と聞く。
次郎さん曰く。
「こういう時はミルクだろうが!」
うまそうにミルクをちびちび飲む次郎さんがまた突っかかる。
「おい何でつまみの一つも出そうとしねえんだ?」
またひとしきり問答が客を沸かせたあと、欽ちゃんの問いに次郎さんが答える。
「ミルクといやあ、刺身に決まってるだろう!」

なんでこんな話を今になって思い出したかというと、娘の通う小学校の給食に、近々刺身がでることとなったと聞いたからである。O-157事件以来神経質になっている学校が、またずいぶん思い切ったことをするもんだと感心したが、ふと疑問に思った。
「で、そのとき牛乳は付くのか?」
「そりゃあ牛乳は毎日でるもん」
そうなのか。最近はインド風のカレーにはご飯や食パンの代わりにナンを使ったり、工夫してるのを知ってるからちょっとショックだ。決められてることだから仕方ないのかな。それにしても、ご飯に刺身に牛乳とは…
言いたくなる。なんでそうなるの!



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2004年04月18日

字を書くことと、キーを打つこと2

有名な小説家で修行時代によく「好きな作家の作品を筆写した」と言う人が結構いる。
とても退屈そうな作業で、小学校で出される一番いやな宿題みたいだが、文を売って生業にせんとする人なら、それくらい好きで出来るもんだという。やった人の話によると話の運び方、文のリズム、句読点の入れ方、漢字の配分などにみる練達の業すべてを、自分の手を通して脳に叩き込むとてもいい方法らしい。必ず実際に鉛筆なんかで書くのが大事で、これをキーボードでやっても、意味が無いことは想像つく。
ちなみに漢文の白文を読めるようになるには、白文と同じものの読み下し文を交互に何回も書き写すのが、一番いい方法だと聞いたこともある。私も本当は仕事上やるべきかなと思うのだが、いつも読むだけで終わっている。
コンピュータが新しいソフトをインストールするように、人間も新しい何かを身につけた実感を持つことがある。
自転車に乗れたとき、逆上がりが成功したとき、うまく字や絵が描けたとき、僅か一分前とは何か大きく違う身体を得たような気になった経験はないだろうか?
これらを“身体の脳化”と呼ぶ人がいる。
対して、白文をすらすら読めるようになったり、上手い!とうならせるような文をサッと書けたりするようになることを“脳の身体化”と私は呼んでいる。
この二つは実は相互に関係しているものであると、前々から思っていた。「声に出して読みたい日本語」が売れたり古武術が注目されているのは、それに似た見方が全体の傾向になってきた証しだろう。
こういうのもブームになると色々問題が生じてくるのだが、オウム真理教のように、安易な方法で極端な結果ー身体変容ーを期待させるのに比べたら、まだずいぶん健康ではないかと思う。
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2004年04月15日

字を書くことと、キーを打つこと

いきなり唐突に季節外れの話をするが、私は年賀状などは出来るだけ手書きするように心がけている。そうしないと手で字を書くことを忘れてしまいそうな気がするからだ。
よく「ワープロだと漢字を覚える必要がないから、手書きのほうがいい」という人がいるが、私はそれだけの問題ではないと思っている。
手で書くということは、それでだけで非常に頭を使うことなのだ。相手が読めるように文字を一つ一つ書くという作業は、漢字の記憶などは別にしても、キーをタッチする何倍も頭を使っている。
もちろんそれほどの違いを感じるほど、自覚的な疲労のような感覚はないにしても、脳の作業ー(脳内を行きかう情報量)を考えれば両者の差は恐ろしくなるほど大きい。
キーを打つ作業は慣れると、しゃべっているだけに近い。特に携帯メールには「書く」自覚は不要だし、ネット上の掲示板なども、荒れるほど日常会話に近くなる傾向がある。
少なくとも15歳くらいまでは、身体障害のような特別な事情が無い限り、キーにたよって“書く”習慣をつけさせるべきではないだろう。
独断的な偏見と思われるのは承知だが、「ゲーム脳理論」と一緒で明確な根拠を並べる前に注意しておかなければ、後々取り返しの付かなくなることもあるのだ
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2004年03月29日

EBMと鍼灸

頭痛の鍼灸治療に関して前々回触れたので、EBMについて少し考えたい。
EBMはエヴィデンス・ベースド・メディスンの略。
「科学的根拠に基づいた医療」である。これは実際に患者へ施した医療行為を通して得た根拠のことである。だから比較実験の体を様することになる。
その中で信頼性が置かれているのは二重盲検法だ。
 例えばある薬Mがある症状Tに効くかどうかを調べたい。それには同じ症状Sの持ち主を大勢集めて、こそっと2グループに分ける。こそっとである。ネタをばらしてはいけない。

AグループーMの効果を説明の上でMを投与する。
BグループーMの効果を説明の上で、患者には黙って偽薬(砂糖錠)のみ与える。

ここで大事なのは、実際に薬を投与する医師もが、その患者がどちらのグループに属しているか、自分の出している薬が本物かどうか知らされていないことだ。
患者と医師両方が知らずに行なうので「ダブルブラインド」になる。
これで思い込みによって症状がよくなってしまう「プラセボ」を数字から排除できるとされているわけだ。
一症状対一薬による治療なら、これは避けて通れない道になるんだろう。いや、それくらいやってもらってもまだ不安でもある。
鍼灸ならどうか?まず「二重」盲検法は最初から成り立たない。やるとしたら経絡、経穴の知識まったくない素人に命令して打たせることだ。
多分実施はされることはない。
二重でなくてもプラセボとの比較は出来るだろう、ということでなされた実験はある。
A. 疼痛部位を通る経絡のツボに刺した。
B. 疼痛部位を通る経絡のツボに刺すマネだけをした。
C. 疼痛部位を通っていない経絡のツボに刺した。
これで「Aが一番優れていました」という結果が出た。
まあ順当かなとも思う。
しかし訴えの出てる場所の該当経絡以外に鍼をして良くなることは、臨床上は日常茶飯事のように経験している。患者の状態と打つものの技術によっては反対の結果が出ることがあるのだ。
苦しんでいる患者にとって頼りなのは、平均値ではない。自分はどんなパターンで治る方向に行くのかだけである。
平均値と外れているもののが現れたら、その説明にまた科学的根拠を得るための実験が必要になるわけだ。
これを繰り返すべきなのだろうか。

仮に疼痛部位という患者の訴え以外の手がかりで、経絡を診てはどうか。
例えば押えて反応を見る。しかし圧痛はすべての経穴を診ることは出来ないし、もしやればそれだけでちょっとした効果が出てしまって、正確な判断が出来なくなる。
経絡を脈で診るには気口九道診というのが必要になるが、出来るものは少ない。また術者の微妙な感覚に頼る診断技術は「主観的」と非難の的になり、それ自体が“科学的に”検証されていない段階である。
鍼灸はEBMと馴染まない。本当はそう思っている人は多いはずである。
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2004年03月21日

体にいいか悪いか

情報元マーガリン・ショートニングは毒 瞑想的生活
マーガリンが身体に悪いとか言うのは、20年近く前から聞いていた。そのときの話では、本来固まらない植物性の油をあのような状態にするために、水素を充填することで弊害が生じるとの事だった。

パン食といえばマーガリンと牛乳がついて回る。どちらも「健康にいい」とされたものだ。
試しにinfoseekで「牛乳 骨折」と検索してみると、2ページまでほとんどが今や「牛乳は骨折を増やす」の情報であふれている。
もちろん“保守派”からの反対もある。どちらも読んでから判断されたらいい。
私は以前バイト先の診療所で、日本医事新報というもっとも権威のある、医師の業界紙に目をやる機会があった。
98年ころに質疑応答のページに「乳製品の摂取による骨折の増加について」という記事があったのをはっきり覚えている。
メディカルトリビューンという、これまた医師向けの雑誌の記事を受けてのものだった。
質問と回答は、コーヒーを一日5杯以上飲むものや乳製品を積極的に摂取する高齢者ほど骨折が多く、日本茶を一日3杯以上飲んでいる高齢者は骨折が少ない、というデータに関してのものである。「科学的に」出された数字らしい。
コメントした医師は「日本型の生活だと正座をするので、足の筋肉が鍛えられて骨折防止になっているのではないか」という素人目にも苦しい解説を残しただけであった。
しかしこのデータが大手の新聞やテレビで紹介されたのを、私は知らない。またこれを読んだはずの多くの医師が、今でも高齢者に牛乳を勧めている。
なぜなのだろうか?


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2004年03月03日

暗い場所では目をつむる

今日家に帰ってきた時、外灯がついておらず真っ暗だった。ガレージの電気のスイッチは外にもあるので、つければ早いのだが不精して、暗いまま手探りで鍵をドアノブの下の鍵穴に差し込もうとした。
入らない。
ふと思うところあり、今度は目をつぶり最初からやり直した。ドアノブに手をかけ閉まっていることを確認し、何も見えないまま鍵を差し込もうとする。今度はするっと入った。
この家は引っ越して一年足らずだが、ほぼ毎日している動作なのだから、身体はよく覚えている。だが中途半端に見えている状態では、かえってうまくいかない。完全に見ないでするほうが、一連の所作が自然に流れていくようだ。
私は鍼灸師であり、この仕事は視覚障害者の方にも優れた名人がいるように、触覚に頼るところが多い。そのおかげで身についた技なのだろうか?
どちらかわからないので、他の人にも是非試してもらいたいと思っているところである。
posted by 徒手空腹 at 23:44| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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