2005年11月23日

江戸時代のUMA

最近暇なとき読んでいる本が「北越雪譜」
古本屋にて640円で入手。面白いです。先ず最初に雪や雨の話があって、この時代の一般的な天体論や気象学が語られるんだけど、今の科学から見て、かなりイイ線いっているのだ。元ネタは三才図会のような中国伝来の知識なので、天人合一論の話をそのままのせているようなところもあるけど、わかりやすいところがいい。

しかし特に興味深いのは、北越独特の「ほふり」「ほふら」のような現象が説明されていてるところである。「ほふり」というと「証券保管振替機構」と思われそうだけど違う。「屠る」とも意味に関連はなさそうだ。雪害の一つで雪崩とよく似ているが全く違う。淡雪の積もった山の上から、石などの芯になるものが転がり落ちて雪玉になり、巨大なものとなることをいう。ひどい時には、何十人もの人を押しつぶして死なせてしまうくらいになるらしい。こういうことが実際あるのか?よくわからないけど興味がわいてくる。

いわゆる「雪男」によく似た話もある。異獣といわれたこの大男は気の良いヤツだったらしく、おにぎり一個あげただけで、頼んでもいないのに荷物を軽々と背負ってくれて、飛ぶように山道を走ったそうな。平易な古文なのに、かえってリアルな印象を受けるから不思議だ。

まだ古文を習っていない中一の長女でも読めている。それくらい簡単なのだが、ああいう本は中学や高校の国語の授業では取り上げられもしないのが残念だ。竹取物語や平家物語のような辞書無しでは一行も進まないような作品が先に出てきて、みんなげんなりするのだな。

まあ、しかし北越雪譜を面白がって読む学生も少ないか。でも、せめて古典の授業では「自分が読める作品」「興味を持った作品」を一つくらい探す時間を与えて欲しいと思う。断言する。古文は読んでおけばいつか必ず役に立つ。ものすごく些細なことではあるかもしれないけれど…


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2004年08月26日

まだ考えてんのか

多くの人が子供のとき「起きている時が実は夢を見ているときで、夢を見ていると思っている時間が実は現実だったりはしないんだろうか」などと一度は考えたはずだ。
私の場合それより少し後に出てきた疑問の方が大きかった。「人間に自由意志はあるのか」だ。
人間が「自分で考えた」と思い込んでいるのは人間の勝手で、それは自然の成り行きに過ぎないのではないか。手から離したボールの落ちて跳ねる軌跡が加速度や空気抵抗によって決まるのと同じく、人間も生まれて育つ間の外的な環境や偶然の積み重ねによって、次に起きる思考や行動は決定しているのではないかということだ。ボールの軌跡は予測できるが、人間の思考や行動予測不可能なように複雑化しているだけの違いだと。そうでないと誰が説明できるんだろうかと、よく悩んだ。
恋愛をしたり仕事に追われたり結婚して家族を持ったりしている間に、そういうことに脳の糖分を費やすことは稀になっていた。
それが色々とあってここ数年またよく考えるようになっている。

人みな骨になるならば―虚無から始める人生論 [単行本] / 頼藤 和寛 (著); 時事通信社 (刊)

最近読んだ本である。
ご自身が癌の診断を受ける前後に書かれた本で、通俗的な宗教にある救いの概念ー永遠性、正義、因果応報といったものを執拗に眼の前から退けている。
著者は言う。貧乏なのにそれを認めなかったからといって何も変わらない。むしろ貧乏なら貧乏であることを認めたほうがいい。そして貧乏であることと貧乏たらしく生きることは違うのだ、と。
(貧乏とは全ての人間の一生そのものの比喩である。)
これが先の幼稚な問いの完全な答になっているわけではない。(こんな問いに完全な答えは無いともいうことだ)
またすでに故人となられた著者のように死の間際まで「認識の鬼」であり続けれるほど、私を含めて人はみな強いとは思えない。
それでも私はまた何度かこの本を開くだろう。「虚無から始める」と言っても、安っぽいニヒリズムとはまったく違う説得力に満ち満ちているからだ。
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2004年06月28日

まっすぐに進ませろ

ときどき子供と紙飛行機を飛ばして遊んでいる。いらないチラシを折って作るやつである。
「日本折り紙ヒコーキ協会会長」で戸田拓夫さんという方が書いた本を見ながらしている。どうもすごい人らしい。なんせ電池やゴムなどの動力もなしに、ただ紙を折っただけで“羽ばたくヒコーキ”を作ったこともあるというのだから驚きだ。
私が今読んでいるのは「折り紙ヒコーキワンダーランド」という本で残念ながらネット上では出ていないようだが、同じ著者で他の本が結構出ているところを見ると、この本は“初級編”の方なのかも知れない。
それでも見ているといろんな種類があってなかなか面白い。私たちが子供時代に「イカヒコーキ」とよんでいたもののバリエーションだけでもずいぶんある。
古典的な二重折りのシンプルタイプは折るのが簡単なだけでなく少々荒っぽく投げてもまっすぐ飛ぶのだが、変わった形のものは折り方にも飛ばし方に少々コツがいる。
どこを折るときでもピシッと中心がまっすぐ、ずれないように心がけないと右か左かどちらかに傾き、その分落ちるのも早くなる。
飛ばす時は決して勢いをつけようとはせずに、空気の上に乗せて滑らせる気で離陸(離手?)させると良い。遠くに飛ばそうとして勢いよく投げると、たいがい左に大きくずれる。右手は投球動作のように動かせばどうしても左の方へ手が流れるからだ。
これに気付かず「左に流れたから今度は少し右に寄せよう」とすると、少しどころではなく大きく右に旋回してしまう。
そういえばゴルフの本でパットに関して同じようなことが書かれていた。
あるがままに おもうがままに 江連忠
ストレートラインのパットはたいがい左にずれるということで、その対処法があった。

何でも左に傾いたから次は右に倒し気味にしようとか、右に向いたので左に寄せてとかして上手くいくことは少ない。左に向くのは左に向かわせる明らかな力があって、これを抑制させることが重要なのだ。
これは精神や思考においても言えることかも知れない。もう少し紙ヒコーキを飛ばしながら考えてみよう。
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2004年05月18日

手塚治虫

てづかおさむを入力したら、手塚修が出てきたが、「おさむ」の変換候補の7番目あたりには治虫があった。おそらく世界に一人しかいない治虫さんのために用意されているわけだ。
鉄腕アトム(これは一発変換)が機で、うちの子供がブラックジャックなんかを時々読んでいる。学校やコミセンの図書館によく置いてあるの借りてではあるけど。
私も懐かしくなって自ら借りて何冊か読んでみている。
やっぱり面白い。それに絵が上手い。今の漫画・劇画にあのタッチを持ってきて受け入れられるかどうかは別だが、独特な軽快さと躍動感は他の作家にはない。
しかしある日私の妻が短編集(サスピションだったか)を読んでポツリこぼした。
「暗いね」
そうなのだ。暗いのだ。手塚作品はどれもこれもほんとに暗いのだ。
鉄腕アトムなんか良く考えたら「感情を持ったロボット」という発想自体が、もうどうしようもなく悲劇的である。
劇画的ストーリーというのは、どこかに暗さがなくては始まらないところがある。絶望のなかにほんの僅かな希望を見出すところに読者は感情移入するわけだから当然だ。とくに手塚作品では絶望からの逃げ道が死という終局をもって結んでいるものも多い。
これはある意味泣かせるための“反則技”でもあるわけなのだが、他の結末を考えることが出来ない自然な筆の運びのうちに描かれているところはさすがである。
子供たちが大人になってこれらの作品をまた読んでみようと思うだろうか。またそのときはどんな感想を持つのか、長生きして知りたいものである。
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2004年04月06日

初動負荷理論

新トレーニング革命―初動負荷理論に基づくトレーニング体系の確立と展開 [単行本] / 小山 裕史 (著); 講談社 (刊)

「奇跡」のトレーニング [単行本] / 小山 裕史 (著); 講談社 (刊)



今年1月15日に発刊され、2月2日には3刷目が出ている売れ行きである。(※注.上リンクは最新の情報に更新しています‐平成23年7月)
著者の小山裕史氏は、10年前に保守的な体育理論を守る業界からのパッシングに耐え、初動負荷トレーニングという革命的なメソッドを開発した方である。
この理論と方法の正しさは、イチローや昨年短距離でメダルを獲った末続選手ほか、数あるトップアスリートの活躍で証明され、いま注目を浴びている。
初動負荷理論の中身には今は触れない。ただ強調しておきたいのは、とにかく今まで私たちが学校で学んできた体育の授業や運動部の練習方法が、間違いとしてことごとく喝破されていることだ。従来の訓練法は、技術の上達を阻むだけでなく、真面目にやるほどケガ、障害を増やすことになるのだ。
余談だが先だっての選挙で、私は某元プロ野球選手に投票をしなかった。その理由は「科学的トレーニングなぞ信用できない」とノタマウのを、雑誌やテレビでよく目にしたからだ。
政治的な見識についてはそれほど嫌いではないのだが、前記の理由だけで私はこの人に長となられては困ると思った。人の体がつぶれる教育を野放しにされる気がしたからである。
まあ、私も鍼灸とEBMは馴染まないと言ったが、鍼灸のメソッドは「科学化」される前から、非常に長い期間、先人によって研究されてきた実績がある。野球のようにここ百年足らずの試行錯誤とはレベルが違う。
近年になって古武術が見直されてきたのも、そこのところでだ。寸分の間に切っ先を受ければ一命を落とすような世界で練られてきた技術は、操法、鍛錬法ともに合理的な要素を持っているはずなのだ。
ただし本書では「なんば」と初動負荷理論による走法を同一視しないで欲しいと、著者は軽く注意を促している。我々としては共通点を感じることがらが非常に多いので、偏り無く読み比べながら、両方とも治療のための発想材料に加えたいと思うところではある。

小山氏は合理的な人体の動きの正体を、いわば「より現実的な運動生理学」によって解釈することに成功した人だといえる。もちろん部分的なところでは、これから一層研究が進むにつれ、漸次改良されていくだろう。
しかしそれは、今までこの世界に見られてきた「うさぎ跳び○→×」のような場当たり的な改変とは意味が違う。
それらは、思考の基本から間違っていたために、何をやっても時間がたつとぼろが出ていただけなのだ。
本書は、そうならないための基本としての考えを、述べたものでもあると言えよう。
とにかく治療家やトレーナー、スポーツコーチのみならず、小中高の子供を持つ親にも是非読んでいただきたい一冊である。
posted by 徒手空腹 at 23:08| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 本を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月12日

十訓抄(じっきんしょう)

それほど得意でもないのに、日本の古文の文章が無性に読みたくなってくることが時々ある。先日それで図書館から「十訓抄」を借り出した。もちろん注釈付きである。
多分教科書にもあまり載らないし、「声に出して読みたい日本語」にも紹介されなかった、ややマイナーな本だと思う。
コンセプトが「生きていく上で必要な十の教訓にそれぞれ合う話を編集しました」というもので、著者が今生きてたら結構いい線いってたかもしれない。アメリカや日本でのベストセラーって、たいがいそんな感じだ。なぜか電車で読んでる人は見たことないけど。(なぜかじゃないな)
でもこれは鎌倉時代である。こんな時代の倫理観を参考にしようという人はいない。
私が十訓抄を借りた理由は、少年時代に現代語訳された一編が気になっていたからだ。
それは「蜂の恩返し」
周囲に聞くと知らない人が多いが、トリビアの泉に出すようなネタでもない。
探すと第一の「人に恵を施すこと」の中にあった。蜂なんだから人ではなかろうがと突っ込みつつ古文で改めて読み返した。
なんてことはない話だ。
でもその次にあったのはなかなか面白い。やはり動物の報恩譚なのだが、ちょっとヒネリの効いた物語で笑わしてくれる。
一羽のとび(とんびのことか、大きな鳥の総称か不明)が子供にいじめられているのを、ある僧が気の毒に思い助けてやる。
いい事したなあと自己満足に浸っていると、変な格好の法師が現れた。
私はさっきのとびで、助けてもらったお礼がしたいと言う。ここまで浦島太郎と一緒だ。
彼は小神通があるという。小神通=小さな神通力というのがおくゆかしい。
僧はここで「金や長寿はいらんから、お釈迦様が霊山でお説法されたシーンを見たいなあ」と言ってしまう。
「お安い御用です。でも言うときまっけど、本気で感動したりせんといてくんなはれや。」
「わかった、わかった」
その後僧の目の前には、お釈迦様と高弟たちの姿が3Dで再現されるのだが、ここのくだりだけ文体が実に絢爛で流麗なものにかわる。書き写したいくらいだけど長いので止めておく。
最初は「ホウ、よう出来とるなあ」と感心していただけのお坊さん、時が経つにつれ引き込まれ、クライマックスに達してついに感涙して拝んでしまった。
気がつくと元の風景。幻想はつゆと消えている。
そして現われたのはさっきのトビ法師。体中傷だらけである。
「せやから感動したらアカン言いましたがな。神さんに「真面目な人間だましてけつかるなあ」って思いっきりしばかれましたでえ。あんたのおかげでエライ災難や」

能の「大会」という曲はこれが元ネタだそうだが、見たことはない。ひょっとして有名のか?
この話が「人には施しをしておこう」という章に載っていることが笑える。他にも「何だそりゃ」というような落ちのついた話が多く、作者はトンチンカンではなく、わかっていて載せていたようだ。

古今著聞集・十訓抄・沙石集 少年少女古典文学館 (13) [単行本] / 阿刀田 高 (著); 赤坂 三好 (イラスト); 講談社 (刊)

新編日本古典文学全集 (51) 十訓抄 [単行本] / 浅見 和彦 (翻訳); 小学館 (刊)
posted by 徒手空腹 at 22:10| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年02月14日

漢字の勉強

漢字の真の大家である白川静先生の本は今まで図書館で借りて読んでいた。それでは碩学にあまりに申し訳なく「字統」を買うべきかどうかでずっと悩んでいたのだが、結局新しく出た「常用字解」の方を買ってしまった。
私の場合漢字のお勉強は趣味と実益を兼ねている。治療に必要な古典の文意や経穴(ツボ)の文字の意味を知るのに必要だからだ。
今まで読んだ先生の本からすると広く浅くで、やや物足らないところもあるが使いやすい。基本的なところは先ずこれで押さえておこう。
(子供でもこの本だけは読めそうなところがうれしい)

常用字解 [単行本] / 白川 静 (著); 平凡社 (刊)

白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい [単行本(ソフトカバー)] / 小山 鉄郎, 白川 静, 文字文化研究所 (著); 共同通信社 (刊)
posted by 徒手空腹 at 23:22| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 本を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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