2005年11月24日

自在感を得させよう

またこちらの記事から。

「子供びいる」というのが評判になっているのは聞いていたが、“子供プロテイン”まで売られているとは知らなかった。スポーツ後の真面目な「プロテイン」より、無邪気な物マネで飲む「びいる」のほうが、まともと感じる人間が多数派であって欲しい。

イチローが小学生時代に大好きな沢庵を食べ過ぎ、全身黄色に染って、ぶっ倒れたことは有名だが、サプリメントやプロテインを摂っていたとは聞いていない。まず、「筋肉をつける」などという意識が、小学生時代にはなかったろう。彼が小学生時代に得た最大の宝は、「筋肉そのもの」より「筋肉の使い方」である。筋力はその過程で自然についてきた。

一流のスポーツマンで筋肉隆々というのは意外に少ない。最もそれっぽい格闘技の世界でも、頂点にいる選手は、見るからに筋肉質というより、一見普通で柔軟な印象を与えるものが多い。(五味隆典とか特にそうだ)

逆にプロ野球の世界で、ヘンな筋肉ばかりつけすぎておかしくなった有名選手の例がある。(そう、あの人です)

プロの話はともかく日本の青少年スポーツの指導には、異常さを感じる話が多い。こちらで言ったような、頭の悪い練習方法を強制するスポーツ指導者がなぜ日本に多いか考えてみた。

1、自分のしてきたこと以上の方法を知らない。無知と新しい知識を取り入れることへの怠慢。
2、取り入れようとしても理解が出来ない。
3、苦しい練習をすれば、心身ともに強くなると本気で思い込んでいる。

表面的にはこういった理由だが、実際はもう少し根が深い。
無知、怠慢、能力不足、思い込み以前に、目的意識の問題がある。
「何のために自分は子供にスポーツを教えているのか?」という問いかけを真面目にしたことが無いのだ。もちろん3のような指導者は、「将来にわたって何事にも強い人間にさせるため」と胸を張って答えるだろう。しかしこれは根拠の無い思い込みである。超人的な猛練習を乗り越えた人間が、意思の弱さから犯罪に手を染めて身を持ち崩すケースもよく聞く。逆もまたしかりで、体育など出来なかった人が、常人の想像を超える意志の強さを見せることも多い。

「強い」というのは「耐えられる」ことをいうのではなく、「適応できる」ことをいうのではないか。スポーツで身につくものには力だけではなく「ワザ」がある。「ワザ」は状況に対する適応方法のことをいう。何か「ワザ」が出来た時、「脳」はその分だけ発達している。体育の指導者は「脳」の指導者であるべきなのだ。

自転車に乗れた瞬間の感動を大人になっても忘れていない人間は幸福だ。人間の幸福とはあの感動の中にある。目で見たこと、頭で思ったことを、自在に実現できたとき感じる快感は高等な動物にしかない。「自在感」という言葉があまり使われないのが残念である。今の教育者は「自由」や「達成感」という言葉をよく使うが、その前にこの「自在感」についてもう少し考えたほうがいい。

そういう意味で言うと、算数も国語も(外国語も)美術も音楽も、この自在感を出来るだけ経験させることが、少なくとも初等教育では最も重要な義務なのではないだろうか。
タグ:自在感
posted by 院主です at 00:06| 大阪 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TBありがとうございます!

>「強い」というのは「耐えられる」ことをいうのではなく、「適応できる」ことをいうのではないか。スポーツで身につくものには力だけではなく「ワザ」がある。「ワザ」は状況に対する適応方法のことをいう。何か「ワザ」が出来た時、「脳」はその分だけ発達している。体育の指導者は「脳」の指導者であるべきなのだ。

思わず深くうなずいてしまいました。
今習っている合気道は確かにその世界です。新しい気づきの連続。これだけで十分楽しくて、練習に熱が入ります。他のスポーツも勝つことを目的としなくても、同じ世界で楽しめるように思うのですが・・・。
Posted by こだま at 2005年11月24日 01:12
TBありがとうございました!

なるほど、「自在感」ですか。いい言葉ですね。頭も体も自在に操ることができれば人生はもっと楽しくなりますね。
あ、あと心も.....。これが一番難しいかな?
Posted by at 2005年11月24日 12:46
こだま先生、早々のコメントありがとうございます。

合気道やダンスなどは別にして、他の格闘技や球技では、勝利への追求も無視すべきでない重要な「手段」にはなると思います。「どうすれば勝てるか」を本気で追求すれば、しょうもない猛練習より頭を使った工夫が優先されるはずだからです。

どんなスポーツでも戦いの後に「ありがとうございました」というのは、「あなたのおかげで私は、より優れたものをまた身に着けました」という意思表示ですから、それには、まず勝とうと思わないけませんが、「勝利至上主義」が異常なのは、おっしゃるようにそれが「目的」となって終わっているからですね。
Posted by 院主です at 2005年11月24日 22:18
桐先生、面白い元ネタありがとうございました。

心の「自在感」は難しいですね。まず精神と言うものが肉体でコントロールされていることを、我々はもっと意識すべきではないかと考えています。ここらあたりは本業の東洋医学の働くところでありますので、またいつか記事にするつもりでおります。
Posted by 院主です at 2005年11月24日 22:25
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