今後研究が進むにつれ、漢字の成立が祭祀や呪術に係るものであるという認識が、より一層広まるかもしれない。そうなったら小学生向きの漢字教本にも、殷時代の宗教観や習慣が同時に憶えられるようなおまけが付くようになるのだろうか。そうなったら面白い。もちろん白川学説を小学生にわかるように説明するのは、かなり工夫がいるだろうと思う。しかし早くから漢字の本質に少しでも近づくことで、今まで我々が持ち得なかった世界観を持つ子も現れるかもしれない。漢検で一級を取るよりも、漢字を作った人々の意識に迫ることの方が、素敵な作業に決まっている。
いずれにせよ「安の字は、家で女性が家事をしていると家が平安になることからきている」なんていう説明を続けていっていい理由はない。安の上部は家ではなく祖廟であり、嫁に入った女性が先祖を祀る形を意味しているという。冷静に考えれば、女が家事をして家が安まるなどというのは、それが当たり前の時代であれば字にはしないことが想像つく。また文字を作る階層の家ならば、家事など奴隷がしていたはずだ。「女が家に」は孔子以降の見方だろう。殷時代は今の我々がイメージしている“昔”とは全然違うのだ。
「常用字解」は中高生にも読めるように編集されたらしい。しかし読んでいる学生は少ないだろう。今は治療所においてあるけど、明日あたりにこっそり子供部屋において様子を見るつもりだ。いつか興味を持ってくれたらうれしい。そういえば、うちの中学校の図書室には備えているんだろうか。無かったら即刻入れさせないかん。
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>「安の字は、家で女性が家事をしていると家が平安になることからきている」なんていう説明を続けていっていい理由はない。
このような解釈はだれがしたのか、また小学生向けの漢字の本には、こうしたの解釈が主流なのはなぜなのでしょうか。解釈がいくとおりにも解釈できるのか、それとも解釈を変えないと都合が悪いことがあるのか。謎だらけです。漢字の世界は。
神が自然とともに当たり前にあった時代の人間の感性は、私たちには感得できません。だから白川説よりも、現代人にもイメージしやすい説文解字ベースの解釈が中心になるのでしょう。
白川先生は学会ではかなり長い間、異端視されたようですが、もしかしたら歴史学の世界と似ているかもしれません。日本に神社がたくさんあるのは、怨霊(崇り)信仰と関わりがありますが、学校ではそんな重要なことをなかなか教えません。
理由は「怨霊など無いから」らしいですが、怨霊のある無しは別として、その時代の人が本気で信じていたという事実を知らせないのは実におかしなことです。
一度現代とは違う見方や感じ方に憑依してみれば、外国や世代間の異文化交流の良い方法も明らかになるかもしれません。
古代の表意文字を形を変えながらも今でも使っている我々には、その能力が眠っているのかも!