2004年03月12日

十訓抄(じっきんしょう)

それほど得意でもないのに、日本の古文の文章が無性に読みたくなってくることが時々ある。先日それで図書館から「十訓抄」を借り出した。もちろん注釈付きである。
多分教科書にもあまり載らないし、「声に出して読みたい日本語」にも紹介されなかった、ややマイナーな本だと思う。
コンセプトが「生きていく上で必要な十の教訓にそれぞれ合う話を編集しました」というもので、著者が今生きてたら結構いい線いってたかもしれない。アメリカや日本でのベストセラーって、たいがいそんな感じだ。なぜか電車で読んでる人は見たことないけど。(なぜかじゃないな)
でもこれは鎌倉時代である。こんな時代の倫理観を参考にしようという人はいない。
私が十訓抄を借りた理由は、少年時代に現代語訳された一編が気になっていたからだ。
それは「蜂の恩返し」
周囲に聞くと知らない人が多いが、トリビアの泉に出すようなネタでもない。
探すと第一の「人に恵を施すこと」の中にあった。蜂なんだから人ではなかろうがと突っ込みつつ古文で改めて読み返した。
なんてことはない話だ。
でもその次にあったのはなかなか面白い。やはり動物の報恩譚なのだが、ちょっとヒネリの効いた物語で笑わしてくれる。
一羽のとび(とんびのことか、大きな鳥の総称か不明)が子供にいじめられているのを、ある僧が気の毒に思い助けてやる。
いい事したなあと自己満足に浸っていると、変な格好の法師が現れた。
私はさっきのとびで、助けてもらったお礼がしたいと言う。ここまで浦島太郎と一緒だ。
彼は小神通があるという。小神通=小さな神通力というのがおくゆかしい。
僧はここで「金や長寿はいらんから、お釈迦様が霊山でお説法されたシーンを見たいなあ」と言ってしまう。
「お安い御用です。でも言うときまっけど、本気で感動したりせんといてくんなはれや。」
「わかった、わかった」
その後僧の目の前には、お釈迦様と高弟たちの姿が3Dで再現されるのだが、ここのくだりだけ文体が実に絢爛で流麗なものにかわる。書き写したいくらいだけど長いので止めておく。
最初は「ホウ、よう出来とるなあ」と感心していただけのお坊さん、時が経つにつれ引き込まれ、クライマックスに達してついに感涙して拝んでしまった。
気がつくと元の風景。幻想はつゆと消えている。
そして現われたのはさっきのトビ法師。体中傷だらけである。
「せやから感動したらアカン言いましたがな。神さんに「真面目な人間だましてけつかるなあ」って思いっきりしばかれましたでえ。あんたのおかげでエライ災難や」

能の「大会」という曲はこれが元ネタだそうだが、見たことはない。ひょっとして有名のか?
この話が「人には施しをしておこう」という章に載っていることが笑える。他にも「何だそりゃ」というような落ちのついた話が多く、作者はトンチンカンではなく、わかっていて載せていたようだ。

古今著聞集・十訓抄・沙石集 少年少女古典文学館 (13) [単行本] / 阿刀田 高 (著); 赤坂 三好 (イラスト); 講談社 (刊)

新編日本古典文学全集 (51) 十訓抄 [単行本] / 浅見 和彦 (翻訳); 小学館 (刊)
posted by 徒手空腹 at 22:10| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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