2005年08月23日

反復学習

正確には反復練習とするべき問題について。

小学生の夏休みの宿題といえば、昔も今も漢字の書き取りと単純な計算ドリルが主で、絵日記や自由研究がついてくるのが相場である。今年は長男に習字を教えると決めたので、漢字の書き取りはその一環としてじっくりとさせているが、計算ドリルは正直どんなものかと思う。

考える力・絶対学力を育てる「どんぐり倶楽部」というサイトがある。子供の勉強の方法について理論を展開している。シュタイナー教育からも影響を受けた(と自ら言っている)ここのメソッドは、暗記能力やその結果である反射的解答力よりも、イメージング能力による思考力の成長に主眼を置いている。したがって一世を風靡した「百マス計算」や早期教育におけるフラッシュカードへの批判は手厳しい。また、ほとんどの小学校で使われている「計算ドリル」「漢字の書き取り」「教科書の本読み」を「お粗末宿題三点セット」と切捨てている。(サイトが最近リニューアルしたようなので、現在そのあたりの記述があるかどうかわからないが、考え方は変わっていないはずだ)

基本的には納得できる考え方である。無味乾燥な計算の高速反復で「前頭葉の血流を上げる」のではなく、文章題を中心にイメージング能力を高めながら、思考力を高めようとする方がいいに決まっている。またこれを書いている先生が、単に「理想的な教育方法を模索している人」ではなく、受験指導のプロとして成果を上げているらしいことも、説得力を持たせている。

しかし本当に計算問題の反復は子供の脳に悪影響を与えるのか?どんぐり倶楽部が説くように、計算ドリルや100マス計算は「止まっている自転車の上で漕いでいるだけ」で「自転車に乗れるようには決してならない」無駄な作業と同じなのか?

トラックバック先のこのページでも多少の議論があったようだが、そのなかで反復と暗記という課題からピアノの練習などについても触れた見解があった。

そんなついでに話が一度大きくそれるけど許して欲しい。

私はピアノを演奏することができない。ピアノどころか、小学生のころはハーモニカさえ一曲も吹けなかった。本当に一曲もである。しかし授業で使う楽器が縦笛(リコーダー)になってからは、何とか人並みについていくことが可能になった。指で穴を塞いだり開けたりして音を変えることが、体で実感できるようになったからだ。ホンの初歩ではあるが、笛が身体の延長になろうとしたのだ。

ハーモニカは今でも吹くことが出来ない。ピアノは子供について一緒にやりかけたがすぐに止めた。左から右にズラリと音が並ぶあの手の機械が、自分の身体の延長になる可能性を、全く感じられないのだ。ドイツの初等教育でピアノを廃止したのは、それこそシュタイナー教育の影響だろうが、私は勝手に正解だと思っている。(ピアノ教室の先生方は気を悪くしないで下さい。難なくピアノを身体化できる子供もいたりするので、だれもやっちゃイカンというのではなく、まあ単なるひがみで…)

33歳から始めた和太鼓は、当初全くやる気なしに誘われて付き合っただけなのに、一回目の練習から夢中になり今でも続けている。

太鼓でも一曲をものにしようと思えば、何度も練習をしなければ出来ない。基本的な地打ち(ドンドコドンドコのようなベースになる単純なリズムを刻むこと)の練習も欠かせない。バチと太鼓を身体の延長にするには、それなりに繰り返しの時間が必要になる。私などは他人の倍以上時間がかかる方だが、それでも2年くらいやっているうちに、「リズムにノッてアドリブで打つ」ぐらいは、低レベルながらもできるようになった。

自転車にまだ乗れない子供は練習時、感覚受容器から受けた情報を大脳で処理して、逐一筋肉に指令を送る。だからみな一度は一心不乱で練習する。繰り返すうちに自転車をうまく乗りこなせるようになると、小脳に運動モデルが記録され、他の考え事をしていても転倒せずに走れるようになる。「道具が身体の一部になる」のはこういうときである。

数字というものも道具の一種と考えれば、高速計算の反復練習をすることがまんざら無益とはいえないかもしれない。ただし数字や演算記号が身体の外延になるには、やはり一度実体を持ったものに転化した形で、脳に触らせる必要はあるだろう。

5+7を問われて5+7=12を「ごたすななわじゅうに」と瞬時に音だけが再生されても意味はない。思考回路を通さない計算能力と呼んでいるのがこれだ。しかし実際のところ、足し算を指やタイルで実体として基本的に認識していれば、「ごたすななわじゅうに」が再生されると同時に、○○○○○+○○○○○ ○○=○○○○○○○○○○ ○○のイメージも発生しているのかもしれない。

反復練習が思考の柔軟性を阻害する決定的な根拠は多分見つかっていないはずだ。

日本は掛け算の暗記を9×9までしかしないのに対し、インドでは恐ろしく大きな数字の組み合わせまで暗記するため、コンピューター関係の人材を多く輩出しているという説がある。

しかしそれでもやっぱり算数の授業時間に「既に出来ることの反復練習」をさせるくらいなら、いわゆる応用問題に力をそそいで欲しいとは思う。

結論を言うと私は結果よりもプロセスの違いで、百マス計算よりも「どんぐり倶楽部」の方が優れていると感じているのだな。なんてことのない落ちだ。考えを整理したくて書いたのだが、長いだけの文になってしまった。
posted by 院主です at 23:59| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/6177956

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。