2005年08月21日

リズムは腎、メロディは肝が主る 2

前回ちょっとした実験で意識できると書いてしまった。中国医学の腎や肝という体感不能の存在を前にして、「意識できる」と言うのは不適切だったかもしれない。筋肉の動きと音の扱いに関係があることがわかれば、おのずとその筋に関係のある臓腑とのつながりも理解できる、ぐらいの意味にとっておいて欲しい。

まっすぐ立って「ア〜〜〜」と声を出しながら、体を前に曲げたり、後に反ったりしてみる。前屈すると低い声が出やすく、後に反ると高い声が出やすい。曲げる部分が腰でなく頸ならば、もっと明確だ。同じようなことを側屈(左右に体を倒す)で試しても、あまり変わりはない。左右どちらに、またどれだけ倒しても音の高低のとりやすさに変化はない。

メロディは身体の前後の動きによって操作されやすいことがわかる。実際オペラや民謡の歌い方を見ていると、体は横にはあまり動かず、前後に揺れていることが多い。旋律をあわせるには、前後の動きに関係する筋肉の扱いが重要だということである。

リズムをとるための筋肉はこれとは違う。仮に体を前後に揺らしながらリズムを取ろうとしてもうまくいかない。ゆっくりなうちはまだいけても、速くなるにしたがって困難になってくるのがわかる。前から見て左右線対称の形でリズムを取ることは合理的ではないのだ。

リズムにあわせて横に揺らす動きは、歩き始めたばかりのような幼い子供でもやってのける。古い青春ドラマには「みんなで肩を組んで歌を歌うシーン」がよくあったが、あれはリズムをあわせているだけなので、音痴が混じっていた可能性はある。

体を左右に揺らしたり倒したりすることは、前後の動きに比べてはるかに疲れにくい。筋肉の収縮より脱力が中心の動作になっているからだ。左側に曲げる場合は右の支えを抜いて、左に落とすだけで良い。真ん中に復元する場合はもちろん右側を少しは収縮させなければいけないのだが、力を入れている意識はほとんどない。反作用的な振り戻しの感覚だけでやっている。筋ではなく骨を動かしているという言い方をする人もいる。

「肝は筋を主り、腎は骨を主る」というのが、中国医学の基礎にある。あたかも弦の長さを変えるように、筋肉を伸び縮みさせて音の高さを変える肝と、骨の重みを振り子にしてリズムをとる腎が体の中で機能しているのだ。

なお我々が行なう脉状診で、肝木の基本の脉は弦であり、腎水の基本の脉は石という字で表されている。



posted by 院主です at 23:36| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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