2009年08月01日

新しい社会化教育2

今日、市立図書館に行ったついでに、社会科教育について書かれた本がないか調べてみました。少ないですねえ。司書の方は書庫から古い本を引っ張って下さいましたが、求めているものとは違いました。「社会科教育」でググってみると、真面目な論説はたくさん出てきます。大きく2種類に分かれるようです。体験学習の効果を検証したり、地域の文化や活動を取り入れた学習の様子など、部分的な指導方法についてのものです。もう一つは歴史認識や国家観に見られるイデオロギー絡みの文です。

なぜゆえ「教える順序」という最も大事な点について、もっと議論がなされていないのか不思議です。地理、歴史、公民という流れはそんなにも合理性があるのでしょうか?

地理から始める理由は、青少年の認識能力の成長過程に対する一種の思い込みからきているのではないでしょうか。

一番わかりやすい目に見える世界から始め

時間を軸にしたストーリーを与え

抽象的思考が要る社会構造への把握をうながす。

この方法が向いている生徒がいないとは思いません。しかし決して多数派ではないでしょう。私自身は歴史と公民の授業は好きでしたが、地理の授業は苦痛でした。全てにわたって「半分意味がわからないまま暗記をする」作業が強いられているような気がしていたのです。

中一の時の担任の先生は社会科の先生で、生徒に教えることは好きだったようで、普段はべらんめぇ調なのが、授業になるとアナウンサーのように標準語でとうとうと語り続けました。印象に残っているのは授業の内容ではなく次の言葉です。

「君たちの年齢ならば異性に興味を持つのと同じくらい、社会に対して関心を持ってもいいはずなのだが、なぜそんなに興味が薄いのだ?」
本当に不思議そうに仰ってました。

遠く離れたどこかの国の気候区分や「主な産業」が、隣のクラスにいる髪のきれいな女の子と同じくらい気になるとは、とても思えませんでした。しかし、これが地理の時間でなかったら、あるいは政治や歴史のことを把握した上で習っている地理の時間であれば、もうちょっと共感したかもしれません。

ガキ時代の私の実感はさておき、なぜ地理から入るとまずいのか、次回も話を進めていきます。
タグ:社会科教育
posted by 院主です at 01:20| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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