2004年04月18日

字を書くことと、キーを打つこと2

有名な小説家で修行時代によく「好きな作家の作品を筆写した」と言う人が結構いる。
とても退屈そうな作業で、小学校で出される一番いやな宿題みたいだが、文を売って生業にせんとする人なら、それくらい好きで出来るもんだという。やった人の話によると話の運び方、文のリズム、句読点の入れ方、漢字の配分などにみる練達の業すべてを、自分の手を通して脳に叩き込むとてもいい方法らしい。必ず実際に鉛筆なんかで書くのが大事で、これをキーボードでやっても、意味が無いことは想像つく。
ちなみに漢文の白文を読めるようになるには、白文と同じものの読み下し文を交互に何回も書き写すのが、一番いい方法だと聞いたこともある。私も本当は仕事上やるべきかなと思うのだが、いつも読むだけで終わっている。
コンピュータが新しいソフトをインストールするように、人間も新しい何かを身につけた実感を持つことがある。
自転車に乗れたとき、逆上がりが成功したとき、うまく字や絵が描けたとき、僅か一分前とは何か大きく違う身体を得たような気になった経験はないだろうか?
これらを“身体の脳化”と呼ぶ人がいる。
対して、白文をすらすら読めるようになったり、上手い!とうならせるような文をサッと書けたりするようになることを“脳の身体化”と私は呼んでいる。
この二つは実は相互に関係しているものであると、前々から思っていた。「声に出して読みたい日本語」が売れたり古武術が注目されているのは、それに似た見方が全体の傾向になってきた証しだろう。
こういうのもブームになると色々問題が生じてくるのだが、オウム真理教のように、安易な方法で極端な結果ー身体変容ーを期待させるのに比べたら、まだずいぶん健康ではないかと思う。
posted by 院主です at 00:39| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 身体を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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