治療施術や訓練を通じて得た知恵を、多くの人に共有してもらいたいという思いを、数年前から続けてきている対話活動に合わせる試み「からだと言葉の広場」を始めます。
第1回の案内と受け付けはこちらになります。
https://www.kokuchpro.com/event/f9a19649987fddfe0a4ffe90f77fdf78/
私たちは生きている限り、身体の感覚は常に様々な刺激にさらされています。それらの経験の中には言葉にしやすいものもあれば、言葉だけでは容易に表しにくいものも多くあります。
五感の中で最も言葉となじんでいるのは視覚です。「何かを見る」ことで、その対象を周囲(背景)から区別しています。海で夕陽を見れば、空、雲、海、島というように、それぞれに言葉が振り分けられていることから、思考との深い関係をうかがうことができます。「わかる」は「分ける」ですし、「理解」も解が入っています。
一方で味覚や嗅覚、触覚というのは、視覚、聴覚に比べて、この「分ける」という作業が難しくなっています。料理のソースを舐めて、何が入っているか当てるには相応の訓練が要ります。
これと関連することですが、視覚は他の感覚に比べて、最も遠いところからの刺激を受け取ることに成功しています。太陽や星の光を受け取っているからです。聴覚がそれに続くものとなるでしょう。その次に嗅覚が空気を通して得られるものになります。味覚、触覚に至っては文字通り接触なくして成り立ちません。
身体から離れた刺激に反応するのは、視覚、聴覚、嗅覚ですが、複数の情報がやってきた時に、それらをバラバラに処理できるのも視覚です。他の知覚では難しくなります。
例えば右の耳にドの音、左の耳にレの音を同時に聞かされて、私は聞き分ける自信がありません。絶対音感のある人なら可能かもしれませんが、視覚に比べると特別な訓練が必要だとわかります。視覚なら夕日、空、雲、山と全部を別のものとして認識することが、いつの間にかできてるわけです。匂いとなると、もっとわかりにくいでしょう。視覚が「分ける」作業の大半を受け持っているようです。
仏典でも眼耳鼻舌身とか色声香味触という順に記されているように、これらは視覚のように高位と言われる知覚から、嗅覚や触覚のように原始的な感覚への段階を示しています。物理的な位置の高低も同じであるのは、おもしろいところです。
ともかく、このように人の五感には、言葉にしにくいものがあるということを言いたかったわけです。
そして、言葉になりにくい感覚を自らの身体で検証しながら、他の人と言葉にしあうことは、身体観や自然観、思考のパターンなどに新たな一面を拓く可能性を持っています。
本会で扱うのは眼耳鼻舌身の「身」が中心になります。運動の感覚です。簡単なワークショップなどを通じて、共有した感覚について楽しみながら対話ができればと考えております。
posted by 徒手空腹 at 09:35| 大阪 ☁|
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