2015年02月22日

悪い姿勢 原因の誤解

最近の子供の姿勢が危険!とかテレビ番組でやってましたなあ。最近はスマホや携帯ゲームの長時間使用とからめての問題視されることが多いようです。でも子供の姿勢が悪いというのは、そういうものが無かった私の子供のころにも盛んに言われてた気がしますがねえ。

体幹トレーニングで姿勢を良くする教室なんかも出始めてるようで、それで良くなること自体は至極結構なことなんですが、この時に必ず言われる「今まで支える筋肉の力が弱かったため、トレーニングで筋力が付いて姿勢を正しく保持できるようになりました。」という話。これがちょっと気になります。鵜呑みにしていいのか?と

「トレーニングをして姿勢が良くなった」 これ事実なんだと思います。疑う必要もありません。重要なのはここ「筋力がついて」という部分です。

ここで私の子供のころの思い出をいきなり持ち出しますが、我慢してお聞きください。

幼稚園児の頃です。腹筋運動が出来ずに悩んでいました。他にも縄跳び、ボール投げ、出来ないことだらけでしたが、この腹筋運動は他の運動に比べると、子供の目にもシンプルで、出来て当たり前に見えたりするわけです。その頃おこなわれていたのは、まっすぐ仰向けになって、両手を頭の後ろに組んで、上半身を起こすあれです。今は誰もやってませんね。

うんうんと、うなりながら体を起こそうとするが出来ない。それが、ある日突然ふっと体が持ち上がったわけです。「えっ!」て感じです。筋力が徐々に付いて、出来るようになるなら、最初はやっとこさで持ち上がり、何度も鍛えるうちに段々と慣れてくるという感じになるはずですが、そうではありません。どちらかというと、自転車に乗れるようになる感覚に近いのです。

起き上がれなかったのは、要らないとこに力を入れて、体を止めていたからです。一生懸命力を入れようとするばかりになって、体を反らせる筋肉まで力が入っているわけです。ある日、脳が「違いますよ。ここだけでいいんですよ」と体の前面の筋肉に指令を出す。そこで成功という運びです。

姿勢を維持する、きれいな形で維持する。実はこれも上のような働きによるところが大きいと考えています。日頃なにも運動をしていなくても姿勢のいい子、運動をしているのに姿勢のわるい子がいるのも事実です。姿勢を何時間も支える筋繊維と、一時的な負荷をかけて、10回くらいの運動をするときの筋繊維は、同じではないでしょう。

では姿勢教室で筋トレをして姿勢が良くなったのはなぜか?

それは使うべき筋肉、使うべきでない筋肉への再教育をしたからだと、考えられます。鍛えられたのは、「筋力」ではなく「運動感覚」なのです。

頭(頭蓋)という極めて重い荷物(骨や脳全部含めると体重の1割ですよ!)を、脊椎へ楽に適切に置ける感覚が身に付いたということです。

重さへの感覚は、背骨から遠いところにあるものほど強く感じられます。腕を伸ばしてカバンを持つ人はいません。体に近付けて持ちます。それでもしんどかったら、肘に掛けます。それもしんどかったら、肩に掛けます。もっと極端な例でいうと、アジアの多くの国では、水がめとか重い荷物を頭の真上に置いて歩く女性がいますね。

水がめまでいかない、自分の頭だけですが、十分重たい。それを体幹の真上にちょこんと置いている状態。力をそう入れたり、緊張を我慢したりしなくて済むバランスの取り方を、トレーニングの過程で自然に覚えた結果と考えた方が納得できます。

これは高齢者のロコモティブシンドローム予防などに関しても同じことが考えられます。
加齢は視覚、聴覚を奪っていくように、体性感覚も衰えさせます。私が体操指導をする際は、これらのことを最も重視して、感覚の維持(できれば向上)を実感できる動きと説明を常に心がけています。
タグ:姿勢 体操
posted by 院主です at 22:51| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

大根 下茹で新方法

私が最近やってる大根の下茹で方法は、ピーラーで薄く表皮を剥いただけで行います。以前は皮を厚くむいて、それも他の料理に使ってましたが、ふと思いつきで違う方法をやってみたら、なかなか良かったので載せておきます。

一般的には厚く剥いて輪切りにして、十文字に隠して包丁をいれ、米のとぎ汁などでグラグラ…
というのが普通ですね。でも今スーパーとかで売られている大根はえぐ味が少なく、わざわざ米や粉を入れる必要性はあまり感じられません。(私は昔のもっとえぐ味のあるのが食べたいくらいです!)

茹で汁のなかの澱粉が大根にしみて甘味を増すという効果もあるのですが、今回それはパス!それでも美味しいから。(個人の感想ですが)

ではやり方を。

1.大根の表面のところだけをピーラーなどで薄くそぎます。
2.包丁の長さより、ちょい短い丈に切る。
3.そしてここから!大根を回しながら縦にスッスッと切り込みを入れます。深さはふだん切り落とす皮の厚みまで。切り込みは私は3ミリごとくらいなんで、かなり多くなりますが、そんなに要らないかもしれません。
でもこれが大根を早く柔らかくさせ、また味を沁み通らせるので、多い方がいいと思っています。
4.輪切りにして、沸騰したお湯に放り込んで待ちます。柔らかくなるのは通常より早いはずです。

茹でるのに使ったお湯は捨てずにダシに使います。

後はご自由に!

皮の切り込みから、繊維の隙間を通ることで、中心部に向かってしっかりとダシが入りこむのですが、皮はくっついているので煮崩れはしにくいわけです。皮の硬さや違和感はありません。もしあるようだったら、刻みを多くしてください。




posted by 院主です at 21:57| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 物を食べる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月17日

自転車立ち漕ぎ秘伝(?)

自転車で急な上り坂を立ち漕ぎ。皆さんもやったことありますよね?私は毎週一回は必要に迫られてやってます。標高90メートルくらいにある住宅街に行くのに、かなり急な坂があるんですが、ちょっとした工夫で楽に登りきれるようになりました。その方法を公開いたします。

結論から先に言うと、
1.ハムストリングス(太腿の後側の筋肉)を使ったスクワットを可能にする。
2.左右のペダルへの体重移動の際に、空から見て胴体が半円を描くようにする。
というだけのものです。

おそらくサイクル競技の関係者、愛好家の方から見ると、当たり前のことだったり、おかしな部分もあるかもしれません。指摘を頂ければありがたく存じます。

ちなみに私の愛車は後輪6段変速はついていますが、MTBやクロスバイクではなく、28インチのシティサイクルです。その姿かたちから、ママチャリではなくパパチャリと呼んでいます。文中での身体の動かし方は、その手のやや重めの自転車漕ぎで活用されたものです。

平地を通常の速さで走る時、お尻はサドルに落ち着けたまま、脚の力だけで漕いでいます。伸ばすときに力を入れる人が多いと思いますが、中には曲げるのを意識している人もいるでしょう。今回このことは問題にしません。どちらにせよ坂を上る時や、平地でもグッと力を入れて加速したい時は、伸ばす方へ力むことになり、脚の力が足らないと感じた時に立ち漕ぎの姿勢になります。エッサホイサと身体を左右に振る動きに勢いなってきます。自分ではしない人でも、子供なんかが一生懸命やっているのを見たことはあると思います。

脚の力だけでは足らない分を、ペダルに体重をかけることにより解決しているわけです。

体重をかけるだけなら片足立ちさえできれば、他の労力は一切不要ということになって万歳なのですが、残念なことにそうはいきません。

ペダルは上下しますから、脚の屈伸は自然に必要になってしまいます。

ここで楽に立ち漕ぎするためのポイント、一つ目が導かれます。

脚の屈伸はハムストリングスによるスクワットを使うということです。

前回の記事でも少し触れており、もう今では常識になりつつありますが、どうも上手く出来ない方に少しここで秘伝を…

〜〜〜イメージをします〜〜〜
駅または公園の便所に入りました。大の方の用を足したいのですが、洋式しかなく便座が汚い!!
こんなとこにお尻は1ミリも触れたくないくらい!でもしないといけない!
そこで恐る恐るお尻を限界までおろしてください。

出来ました?イメージ中に悲惨なことになった人は、腰の骨が後ろに曲がってる場合が多いです。これを防ぐには、しゃがむ前に臍をぐっと突き出すようにします。痛くない程度に腰の骨が反ったのを感じながらそれを維持したまま、お尻を下ではなく後に突き出します。お臍は自然に太腿に近づく格好になりますね。膝は90度まで曲げる必要はありません。

重要なのは立ち上がる時で、すこしお尻の穴を閉めるように、尻えくぼを深くするような感覚で恥骨を前上方に持ち上げます。

片足で同じことが出来ますでしょうか?完全に一本足で立つのではなく、反対の足は親指の腹が少し床に触れている状態でやってみて下さい。上手くできると、片足でもとても楽に身体を持ち上げることが出来ます。

ただ自転車の上でこれをやるにはちょっとだけコツが要ります。そこで二つ目のポイント。

上り坂のように漕いだあとの惰力が一切働いてくれない場合、ペダルが最上点のところ=時計の12時から、2時へ移動する際に最も大きな力が要ります。
通常、ペダルの位置はサドルより少し前にありますから、体重をかける場合、その分身体は前に寄らないといけません。右ペダルなら右前側に体幹を寄せることになります。

12時の点から踏み込んで、まもなくペダルは3時の位置まで移動します。

最初に体重を預けた地点から、また10センチ前に移動しています。

ということは、身体はただ左右にスライドするだけではダメだという事になります。

今度は横からでなく空の上から時計を当てはめてみます。サドルを中心に前輪を12時方向とします。体幹は時計の中心から、ペダルの位置に従い3時から2時へ移動します。ペダルが2時から3時に戻る時(水平位から落ちる時)は惰力を利用できるので、中心に戻る必要はありません。12時のところを通って、逆の9時方向へ向かいます。

一連の動きを意識して行うと、身体の中心は半円(実際は半円の真ん中3分の1)をえがくようになります。もちろん前輪側へ∩になる形です。実際に上から動画を撮って確認すれば、∩ではなく∞(横になった8の字)に近い可能性もあります。理論上そうなっていて当然ですが、意識して自分から8の字を描いてしまうと、反対側への移動に間に合わせるのはかえって難しくなります。

一度試してみて下さい。
posted by 院主です at 17:18| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月23日

スクワット

今日、和太鼓の練習の前に、メンバーの男の子(小6)がなぜか一生懸命スクワットをやっていたので、思わず駆け寄って注意してしまいました。

「膝を足より前に出さないようにやりや!」

最近は割と常識になってきてるけど、時々大人でも昔の方法でやってることがあるので、子供が真似をしてしまうのですね。

私も中高生のころは、そうでした。回数も滅茶苦茶で100回とか1000回とかしてましたもんなあ。

よく故障しなかったと思うけど、部活を途中で辞めたのが幸いしましたか(笑)

子供にはいい方法でトレーニングして欲しいと願います。
posted by 院主です at 23:59| 大阪 | Comment(3) | TrackBack(0) | 運動を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月29日

フェルデンクライス・メソッドATM後にあったこと  左手の学習

5月くらいからフレームドラムを習っていて、なかなか思うようにならないテクニックがあります。

ちなみにフレームドラムってこんなのです。

動画のヴェルヅさんは左手で太鼓を下からつかみながら、主に太鼓の周囲を叩いています(ka!という音)が、その体勢で右手と同じように太鼓の中を叩く(dun!とかbuk!っていう音)方法もあり、これが難しい。

とにかく脱力して右手と同じように手首から先がでんでん太鼓のように回して、この動きを太鼓に手を添えながら行えばいいのですが、言うは易し行うは難しなんですね。

それがATMの後に家に帰って練習したらとても簡単に出来てしまいました。

右手で出来ることを左手に覚えさせようとする時は、とかく意識的に運動の外形を想定して、それをなぞる努力をしたり、右手の真似を鏡に映すように無理に行おうとします。これをやってると、だんだんどこかに痛みや異常を生じることがあります。

なぜそういう危険性があるか?

おそらく小脳にインプリンティングされた運動を、大脳で分析しても、自分が右手で経験したプロセスを必ずしも辿るわけではないからでしょう。

上手く辿れる状態。右手の時と同じである必要はないけど、自然に身体がそこへ行きつくような体勢が、メッソッドにより作れるということです。

「重力を感じる」「自らをスキャンする」それだけでも、大きな変化を得られることに改めて気づかされました。

なおフレームドラムの名人の演奏はたくさんyoutubeで見られます。
これなんかお勧めです。7拍子の上にゆっくりと歌が入ってます。難しいだろうなあ…

posted by 院主です at 23:16| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フェルデンクライス・メソッドのATMを受けてきた

以前から関心がありつつ、本格的なレッスンを受けることのなかったフェルデンクライス・メソッドのグループレッスン(Awarness through Movement=ATM 直訳では動きを通した気づき)を京都で受けてきました。

フェルデンクライス・メソッドが何かについては、私から概要を説明するもんでもないので、リンクを張っておきます。日本フェルデンクライス協会

個人レッスン(Functional Integration=FI)は受けずに、今回色んな方がされているのを見学していました。

自分が目指していたものと限りなく近い印象を持っていたのが、今回より大きく接近できたような気もしています。
レッスン中に色々な気づきを得たのは面白かったのですが、そのあと家に帰ってから行った実験がとても意義深かったので、次に投稿しようと思います。

posted by 院主です at 21:44| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月18日

体罰問題は能力論を中心に論じて欲しい

「桜ノ宮高校の事件以降、世間は体罰を一斉に否定するようになりましたね」

そう言う人がいますが、ちょっと甘いなと思います。

私はテレビを見てないけど、どんな論調かは想像がつくし、体罰必要論を今この時に声高に唱える奴は少ないでしょう。しかし、マスコミから視線を外してよく見れば、一般人の間では考えが特別変わった人は少ないのが現実なはずです。

暴力を受けて自分が成長したと思い込んでいる人は、こんな事件で考えを変えたりはしません。自殺した生徒に問題があるとまず考えます。大津のイジメ事件ではマスコミ全社が決してやらなかった遺族批判みたいなことを、おそらく橋下が嫌いという理由だけで堂々と記事にした雑誌を味方に、「やっぱり先生は悪くないやん」と叫びたい気持ちになっています。ついでに言いますと、連日続々と報道されている暴力的指導者の皆さんは、言葉の上ではどうかはわかりませんが、ホントのところは反省何ぞしとらんのと違いますかな。

「実績もあって感謝もされている自分が何で今さら責められる?」

これはこれで当然の気持ちではないですか。

人は自分を否定されたくありません。特に「あなたは正しくない」と言われることには命がけで抵抗しようとします。年齢を重ねるほど、それは強い。年寄りに多い人種差別、団塊世代に多いアナーキズムや空想的平和主義が、どれだけ馬鹿にされても治らないのを見てもわかります。

暴力を受け成長し、それを肯定的に捉えて、それをまた伝えようとする人たちに「君は正しくない」と言えば言うほど、反発されるだけに終わることが考えられます。

では、どうすればいいのか?

「あなたがたは他の方法を知らなかった」と言うべきなのです。教師は殴らなくても指導できる方法を知らなかった。だから「良い大人」になった生徒もそんな殴る以外の素晴らしい方法を知らずに育った。

倫理の問題を放置しておけというのではありません。もう一つの側面である指導能力の問題の方が、早急に解決する必要もあるからです。能力がついてこなければ、結果を求められる限りどんなに間違っているとわかっていても暴力に頼るようになるからです。

暴力は間違っていると言うのは簡単で、誰にでも出来ますが、暴力より効果的な指導が何か説くのは専門家でも難しい。その難しい事を避けてきたから、こうなった。

一連の体罰問題は暴力をふるった当事者だけに責任があるのではないということになります。「体罰はいけない」とか「時によって必要」とか、ときに平行線になりがちな論議ばかりに陥っていた両側に問題があります。さして世に発言力を持たぬ我々も含めた大人全体の責任であると、新聞に目をやる度に考えざるを得ません。
posted by 院主です at 22:34| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月29日

体罰という言葉は適当か?

桜ノ宮高校の事件以来、教育機関での「体罰」関連ニュースが毎日のように新聞に載りますが、いろんな意味で違和感を感じています。

まず「体罰」という言葉の使い方に最も大きな疑問を感じているのは、私だけではないでしょう。罰という以上、何かしらの悪行なり違法行為、規則違反に対する報いであるべきですが、今回のような事例ではそういうことで暴力を受けたのではありません。

2005年にこんな事件があり、当ブログでも取り上げました。
去るべき人々がどれくらいいるのか
事件の経緯は以下のサイトに詳しくあります。
ある野球少年の熱中症死亡事故事件(京都第一法律事務所)

試合に負けて、なぜペナルティが下りるのか?これに疑問を持たない人間がまだいたことに震撼としたものですが、7年たっても現状はあまり変わってないらしい。

「試合に負けた」のは監督にもコーチにも責任があります。「努力が足らない」とか「キャプテンとして自覚が足らない」という主観も一方的なものである可能性が常にあります。何にせよ不正を働いたわけではない。こういう理由で暴力をふるうのを「体罰」と呼べるのでしょうか?暴力依存的指導または単に暴力依存と呼ぶべきです。体罰と暴力依存を区別しないでごっちゃに語られるため、まともな論議さえできていないような気がします。

私は本来の意味での体罰でも、法律的なことを言えば禁止ということで良いとは思いますが、いかなる場合でも行為者が処罰の対象とされるものとは考えていません。親子間、教師生徒間という人間同士の付き合いの中でどんな状況が生じるか、すべて予想できるものでもなく、程度はあるにしろ何かしらの実力行為が必要とされることもあるでしょう。もちろん罰を受けた人間も、それに納得をしていることが条件です。これに比べると暴力依存的指導は、たとえ生徒が納得していてもするべきではありません。むしろその方が怖い。「あの先生の暴力によって自分は強くなれた」という思い込みが、次の世代に連鎖していくからです。

体罰に線引きが必要という声がありますが、本来の意味での体罰なら、先に述べたように事前に線引きなど出来るわけがありません。起きてしまってからしか、その是非はわからないのです。しかし体罰と暴力依存ははっきり線引きが可能です。暴力依存は限りなく犯罪に近いものと考えた方がいい。

橋下市長の決定には概ね賛成ですが、この人は極めて近い過去に、文脈上で体罰ではなく暴力依存的指導の方をはっきり肯定した珍しい政治家です。一応反省は口にしているようですが、彼にもかなりの責任があるではないでしょうか。

暴力のすべてを否定するのも極論でしょうが、目的さえポジティブなものであれば容易に暴力を肯定する方がはるかに害悪が大きい。これを放置し過ぎてきたということは、市長だけでなく我々大人全員恥じるべきです。

私自身、高校時代に自殺した青年と似たような経験がありました。私の場合は逃亡が出来たけど、彼にはその選択が出来なかった。なぜ出来なかったのか、それを個人の問題だけに決してしてはなりません。

posted by 院主です at 11:41| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月11日

モーションセラピーのお知らせ 2

13年度最初のモーションセラピー講座のお知らせです。
日時.2月7日(木)午後7時30分から9時
会場.JR高槻駅近くの純和センターで行います。
参加費.1,000円


アメーバエクササイズと呼んでいた動きを、スネークエクササイズに変えました。干支に合わせたのもありますが(笑)本質的にその方がふさわしいと考えたからです。

当教室のメソッドは合理的な動きをわかりやすい説明と誰にでもできる簡単な実験により、身体を動かすことは楽なことなのだ、楽しいことなのだと実感しながら健康と能力を得るよう作られています。肩こりや腰痛がある方、いろんな健康法に挫折した方には特にお勧めです。「身体の関節や筋肉のどこかが痛い、重たい、動かしにくい」原因は無数に考えられますが、もしかしたら普段から何気なくおこなっている立ち方、座り方、歩き方など動き方そのものに問題があるかもしれません。例えば今盛んにもてはやされているラジオ体操や学校でやった体育座り、「腕を振って地面を足先で蹴るウォーキング」など身体に良いとされながら実は非合理的な運動を強いていることが多くあります。

体調に問題がある方だけでなく、自分は運動音痴と思っている方、姿勢をよくしたい方、何かをもう少し上手くなりたいと考えている方などにもお勧めいたします。

参加資格は日本語がわかり立って歩けることだけです。
お気軽にご参加ください。ご質問も受け付けております。
連絡先はこちらにある番号またはアドレスからどうぞ。
携帯の場合は先にショートメールを頂ければ幸いです。
posted by 院主です at 18:08| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月06日

「だけで商法」または「だけで詐欺」

以下の人を私は現実にお会いしたことがありません。

「〇〇だけで痩せた、キレイになった」
「〇〇だけで健康になった」
「〇〇を聞き流しただけで英語が話せた」
「〇〇をするだけで女子(男子)にモテモテになった」
「〇〇の本の通りにしただけで金持ちになった」

「だけで商法」と勝手に名づけました。まあ、たいがいのものは「個人の感想です」という文言が要虫眼鏡級の文字で入ってたりしますから「だけで詐欺」まではいかないのでしょう。多くの人が、こんなものを本気で信じてる様子はありません。日常会話で話題になると「そんなはずないよねえ」という結論に大概なります。なのにこの手合いの商売はあとを絶たたないのです。よほど儲かるに違いないということで「だけでと言うだけで儲かる」方法本も出てくるんではないかと期待しています。

「俺は絶対振込め詐欺に合わない」と言ってる人が、見事にだまされてしまうように、「そんな馬鹿な」と普段けなしている我々でも、場合によってはつい飛びつくことがあるかもしれません。

実は私の知人で最近一人「〇〇だけで痩せた」と教えてくれた女性がいました。
「どうやったの」
「夕食抜いただけです」
そりゃあ痩せるやろ。それは普通「〇〇しただけ」とは言わんですよ。実際よくよく聞いたら他にも努力してました。真面目な人ですから、夕食抜いて働くには工夫が必要になったみたいです。

今月に衆議院選挙がありますが「ああ、これはこの人のダイエットと同じだなあ」とつくづく思いました。どの党を選んでも、選んだだけでは何も良くならないことを我々は学びました。彼女が「夕食を抜くだけ」の選択の後に様々な努力を積んだように、我々が選挙後どうあるかも考えて投票しなければいけないということです。でないと「だけで商法」にひっかかかってまた大きな借金を抱えたり、辛抱だけを強いられ餓死者や自殺者が増えることにもなりかねません。

タグ:詐欺
posted by 院主です at 12:37| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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